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2002/5/10

印紙代

阿部泰隆
神戸大学大学院教授

初出出典:自治研究77巻9号(2001年9月号

以上   

(ア)   はじめに
 提訴手数料つまりは印紙代は訴額に応ずる。訴額は「訴えで主張する利益」によって算定する(民事訴訟法八条)。これは一般に、訴えにより主張する経済的利益をいうとされる。そして、印紙代は訴額に応じて高くなるが低減するスライド式で定められている。しかし、非財産権上の請求、及び財産権上の請求でも訴額算定がきわめて困難なものについては、訴額を九五万円とみなし(民事訴訟費用等法四条二項)、印紙代は一審では、八、二〇〇円である。ただし、控訴審で五〇%割増し、最高裁では倍である(同法別表第一)。

 そして、集団訴訟のさいには、代表者ひとりが印紙を貼付すればよいのか、九五万円に人数分を乗じたものを訴額とするのかという問題がある(後記(キ)の問題)。

 この民事訴訟の考え方は、法体系上行政訴訟にも適用されている(行訴法七条)。理論的にも、行政訴訟の訴額の算定については、民事訴訟一般についてと特に異なるところがあるわけではないといわれてきたところである(36)。

 そして、現在、裁判所の受付で使用されている本は、裁判所書記官研修所実務研究報告『訴額算定に関する書記官事務の研究』(法曹会、一九九二=平成四年)、裁判所書記官研修所『平成九年度書記官実務研究 新民事訴訟法における書記官事務の研究U』であり、実務で使われている基準の大本は、一九五六年一二月一二日付最高裁民事局長の各長官・所長あての通知「訴訟物の訴額の算定基準について」(前掲『訴額算定に関する書記官事務の研究』三一九頁以下)である。これについて最近法務省におかれた「民訴費用制度等研究会報告書」(一九九七年一月、ジュリスト一一一二号)が詳しい検討をしている。

 しかし、この制度は、「財産権上の請求」、「訴えで主張する利益」、「算定が極めて困難」、「訴えで主張する利益が各請求について共通」といった、あまりにも曖昧な概念に頼っているので、法治国家にふさわしくない上、私見では、この制度とこの制度に関する訴訟実務の解釈は、結論的に言って、行政訴訟の特質を無視していると思う。この制度を立案したり改訂したりするのは民事裁判官か民事訴訟法研究者である(37)ことがその大きな一因ではないかと思われ、ここに行政訴訟の特質と印紙代との関係を説明する必要を感ずる。もっとも、行政法学者が参加しても、行政法と行政訴訟の特質を解明しない限りは同じことである。この点については、ジュリスト一一九二号(二〇〇一年正月号)に書いたが、不十分であったので、恐縮であるが、ここでもう少し詳しく述べる。最初に、財産権上の請求及び財産権上の請求で訴額算定困難例を検討し、最後に集団訴訟の場合について検討する。


(イ) 訴額算定に関する訴訟実務
 その基本について、とりあえず、司法研修所編『改訂 行政事件訴訟の一般的問題に関する実務的研究』を借用すると、財産権上の請求及び訴額算定困難に関する裁判実務の扱いは次の通りである。
行政事件訴訟における訴訟物は、処分の違法一般と解されているが、そのことから行政事件訴訟は非財産権上の請求になるものではなく(最判一九五九=昭和三四・八・二八民集一三巻一〇号一三四八頁、最判一九六〇=昭和三五・四・五民集一四巻五号七三八頁)、民事訴訟と同様に、当該行政処分によって享受しようとする原告の利益が経済的なものであれば、財産権上の請求である。行政訴訟によって勝訴した後新たな行政処分を経る必要があるような間接的なものであっても、財産権上の請求に係る訴訟と解するに妨げがない。前掲最高裁一九六〇年四月五日判決は、国有林野払下げ処分に対して競願者が提起した取消訴訟に関するものであって、原告がこれに勝訴しても当然に当該山林を取得するわけではなく、あたらめて自己に対する払下げ処分が必要な事案であったが、財産権上の請求であると判示されている(38)。

 そして、期待的な利益や予防的な利益も、訴額の判定に当たっては、確定的利益と区別しない(39)。

 事例をいくつかあげると、課税処分の取消請求や農地の買収・売渡処分、公務員の給与の減額処分、土地区画整理法・土地改良法に基づく換地処分など、土地収用法に基づく事業認定・収用裁決、営業許可取消処分の訴えは財産権上の請求であり、他方、国籍確認請求や情報公開拒否処分取消請求は非財産権上の請求である(40)。
 課税処分の取消訴訟を例とすれば、納付を命ぜられた税額、つまり原告主張の税額が訴額になる。一億円の請求では一審で約四二万円かかる。控訴審で五〇%割増し、最高裁で倍であるから、合計約一八九万円もかかる。東京都の外形標準課税に対して、二一行が差止め訴訟のほかに各銀行一億円の損害賠償請求訴訟を提起したら、とりあえず総額で一億八〇〇〇万円の印紙代を添付することとされたらしい。巨額だと思う。

 年金についても、支給処分がなされた場合の年金額を基礎として、被支給者の平均余命を乗じて推定した推定受給総額から中間利息相当額を控除したものを訴額とするという説明がある(41)。しかし、年金も将来改訂があるし、本当に平均余命が適切な基準かもわからないともいえる。東京地裁の民事の受付記録では種々あるようであるが、大阪地裁の民事の受付の扱いでは算定不能だということである。厚生大臣あてに原爆医療法に基づく医療特別手当を受給するために、原爆症の認定を求め、その却下処分の取消しと、後に国に損害賠償請求をした京都原爆訴訟(京都地判一九九八=平成一〇・一二・一一判時一七〇八号七一頁、大阪高判二〇〇〇=平成一二・一一・七判時一七三九号四五頁、原告勝訴、二審確定)では、尾藤廣喜弁護士によれば、処分の取消訴訟では訴額は算定不能とされている(訴訟救助を得て印紙代は支払っていないということである)。長崎原爆訴訟(最判二〇〇〇=平成一二年七月一八日判時一七二四号二九頁)でも算定不能である。

 他方、附近住民が人格権や環境権を主張して、許認可の取消を求めたようなケースでは、一般に算定不能とされている。
 開発区域の周辺に居住する多数の原告らが林地開発行為許可処分の取消しを求めた事件において、最高裁は、原告らが訴えで主張する利益は、本件処分の取消しによって回復される各原告の有する利益、具体的には水利権、人格権、不動産所有権等の一部を成す利益であり、その価額を具体的に算定することは極めて困難というべきであるから、各原告が訴えで主張する利益によって算定される訴訟の目的の価額は九五万円とみなされる(費用法四条二項)とした(最決二〇〇〇年一〇月一三日判時一七三一号三頁判タ一〇四九号二一六頁)。

 原発を差し止めるための高浜原発訴訟(大阪地判平成五・一二・二四判時一四八〇号一七頁判タ八四七号八三頁、民事差止訴訟)でも、高速増殖炉もんじゅ訴訟(福井地判昭和六二・一二・二五判時一二六四号三一頁判タ六六三号五八頁、福井地判平成一二・三・二二判時一七二七号三三頁判タ一〇四三号一二二頁、民事の差止訴訟と行政処分無効確認訴訟が併合提起)でも、聞くところによれば、この考え方が取られていたということである。
 環境権侵害を理由とする公有水面埋立免許取消訴訟については、説が分かれるが、土地所有者については土地所有権に基づく妨害排除請求の場合に準ずるという説と非財産的請求とする説があるという(42)。


(ウ) 民事訴訟理論としても疑問
 ところで、司法制度改革審議会中間報告は、提訴手数料の趣旨を受益者負担金とし、あわせて濫訴を抑制する効果があるとして、スライド制を維持しつつ、必要な範囲でその低額化を行うべきであるとし、これは最終報告でも維持された。その背景にあるのは、前記の「民訴費用制度等研究会報告書」であろう。このまま行けば、行政訴訟でも同様の扱いがなされよう。
しかし、まず、この民事訴訟法の扱いにも疑問を感ずる。本格的には民事訴訟の論争に参戦しなければならないが、ここではいくつか思いつくものをあげる。

 提訴手数料は受益者負担金として理解されるようである(43)。確かに、裁判は当事者の利益にもなる。しかし、裁判は自力救済禁止の代償としての法治国家の不可欠のインフラであるし、これによって判例が形成され他の国民の利益にもなるから、受益者負担という発想には疑問を感ずる。裁判に持ち込むだけで、勝訴しなくても、今の印紙代ほどの受益があるのだろうか。

 また、交通事故・医療過誤などの訴訟で一億円を請求すると、弁護士費用のほかに、前記のように約一八九万円もの印紙代を覚悟しなければならないのでは、それだけの受益があるというよりも、むしろ訴えを抑制する効果の方が大きいのではないか。もちろん、勝訴すれば、訴訟費用確定の裁判を行って、返還してもらえる建前とはいえ、実際上返還を求めることは面倒なので少ないし、事実上和解(形式は取下げ)したり、負けた場合は取り返せない。もっとも、原告はこの事情を知らずに弁護士に訴え提起を依頼して、あとで費用が予想外にかかって吃驚している可能性も高い。付言すれば、弁護士は、一審だけではなく、高裁、最高裁ではどうなるか、また、執行費用についても、十分に情報を提供してから受任すべきである。

 もちろん、印紙代が安いと不当に高額の請求をするという濫訴の弊害も想定されるから、そのかねあいの問題で、本格的には法社会学的研究を要することである。まずは、スライド式を維持しつつ低額化を図る司法制度改革審議会の方針に期待したい。
先に、判例は期待的利益を確定的利益と同視していると紹介した。しかし、なぜ、これが同視しできるのか、まったくわからない。経済的には、期待的利益は期待率を乗じて初めてその価値が出てくるのである。法律家の経済オンチの典型例ではなかろうか。他人に対する払下げの取消しを求めた前記の例では、取消判決後原告が買い受けることのできる確率=期待率はわからないから、算定不能にするしかないのでないか。なお、この例では、払下げを受けるときも、代価を払うので、受益はその差額であるが、払下げは時価によるのであれば、その受益はなおさら算定不能である。

 次に、「訴えで主張する利益」を基準とする現行の仕組みでは、訴額が算定不能なら、最高裁まで争っても、三六、九〇〇円で済むが、算定可能とされると、たとえば、一億円の請求では、約一八九万円にもなってしまう。財産権上の請求かどうかも理論構成次第であり、訴額が算定可能かどうかも微妙なものであり、算定不能でも、実質的には大きな利益を得ることもあるから、この差は不当に大きい。
前記のように、年金裁定を争う訴訟でも、訴額算定が困難かどうかについて争いが生じている。
財産権上の請求かどうかに関して、きちんとした理論があるのかも怪しい。たとえば、付近住民が環境権、人格権を根拠に差止めなどを請求した場合について、藤田耕三は、これは結局は一定の場所に継続して居住することから生ずる生活利益であるから、土地建物の所有権、賃借権を有する者については、これらの権利に基づく妨害排除請求の場合に準じて考え、そうでない者については、占有権の場合に準じ、一人あたりの居住面積を基準として決定する方法等が提唱されているとする。そして、とにかく、財産権上の請求と解される以上は困難があっても安易に算定不能にすべきではないとする(44)。
しかし、これは財産権上の請求としても、その訴えで主張する財産の価格は、その土地の価格そのものではなく、地価低落分だけである。そして、地価低落分は目下の技術では算定が至難である(ヘドニック方式などの技術が進んで算定可能になっても、印紙代算定のためという目的に照らせば不当に高額の費用を要する)から、これは一般に算定不能にする扱いが合理的であろう。まして、騒音、日照などの生活妨害を人格権侵害として構成するなら、非財産権上の請求とすべきである。理論構成次第で違いすぎる。

 民事訴訟の引換給付訴訟、たとえば、一億円と引換えに、家屋を引渡せとする訴訟でも、訴額はその家屋の価格であるというらしい(神戸地裁、名古屋地裁の事件受付の実務はそうである)(45)。原告が主張しているのが家屋の明渡しだからであろう。

 しかし、訴額の基準は前記のように、訴えで主張する経済的利益であると解されるなら、引換給付訴訟において原告が主張している経済的利益はその差額と解すべきではないか。これに対して、すでに一億円を払っている場合の家屋の引渡請求との均衡をいう説もあるらしいが、後者の場合には一億円は裁判で争われていないので無視すべきである。

 用益物権や担保物権が設定されている土地の所有権確認請求訴訟でも、実務では、これを斟酌する必要はないとして、単純にその土地価格を訴額としているようである(46)。

 しかし、同じ土地所有権確認請求でも、請求が認容されたときに原告が受ける経済的利益は、所有権に他の制限物権が付着しているかどうか、原告が目的物を占有しているかどうか、登記との関係はどうかによって異なるはずである。この実務は、経済的利益とは何かを知らないのではないか(47)。


 (エ) 行政法と行政訴訟の特質
 次に、一般の民事訴訟は別としても、少なくとも国家・地方公共団体を被告とする行政訴訟・国家賠償には、こうした訴額算定の考え方を適用すべきではないと思う。ここで、まず、行政法と行政訴訟の特質について説明する。

 私法上の制度であれば、債権者の方から請求することになるので、印紙を支払うのは債権者である。権利は債務者の方に、経済学でいわゆる初期配分される。ここで、税金について考えると、国家が債権者として出訴して徴収するなら、国家が印紙を貼付しなければならない。しかし、現行法では、行政は法律に基づいて第一次的に判断し、これに不満な国民が争う形式をとる。いわば行政の方に権利が初期配分され、国民の方が国家の侵害に対して防御戦争をしなければならない不利な立場に追い込まれている。

 これはこれまで行政法における権力性とか優越性とか言われたものであるが、これは印紙代まで念頭においた制度とは理解できない。そのような議論は寡聞にしてなされていないからである。
そして、「訴えによって主張する利益」は処分を受ける方が主張するように見えるが、逆に、税務訴訟では税務官庁が当該税額を主張しているとも解することが可能である。このことは論理的には水掛け論であるが、権利を主張する方が印紙代を負担するという一般原則に戻れば、前者が当然に前提となるわけではない。

 税務訴訟では、納税者は防御戦争を強いられたので、蒙古に攻められた鎌倉幕府と同じく、勝ってもともと、負ければ大損であるが、国家は攻め損なっただけで領土を失わない蒙古と同じく、課税処分が取り消されてももともとである。印紙代は原告には萎縮効果をもたらすが、被告の税務署長にとっては、控訴審で負担する場合も税金でまかなうのであるから、いわゆる親方日の丸で、濫上訴の抑制効果がない。これはきわめて不公平である。
民事の給付訴訟では、勝訴の見通しがつかないときは一部請求をして、勝訴の見込みが高くなったら請求を拡張する方法があるが、行政訴訟では出訴期間の制約があるので、訴訟の帰趨の見通しがつかない最初の段階から全部請求をすることになる。民事訴訟におけるような印紙代節約の手段がない。

 さらに、民事の給付訴訟では権利義務の有無が直接に争われるが、行政は法律による行政の原理によって判断することとなっており、それには実体要件以外のルールがあるので、課税処分でも給付拒否処分でも、取り消されても、判決の趣旨に従ってやり直すだけで(行訴法三三条)、結局は似たような処分がなされることが少なくない。このことは、理由付記の不備とか手続の瑕疵を理由とする場合だけではなく、推計課税の不合理を理由とする場合、裁量判断の不合理を理由とする場合も同じである。
これは民事の給付訴訟にはない行政訴訟の特色である。義務づけ訴訟を導入しても、いわゆる指令判決(裁判所の判断に従って判断し直せという義務づけ判決)として、同じようなことが起きることには変わりはない。
こうした制度のもとでは、たとえば一〇〇万円の課税処分を取り消せという訴訟でも、そこで主張しているのは、一〇〇万円の民事上の請求とは異なり、課税処分を判断し直せということだと理解すべきである。そうすると、判断し直した結果どうなるかはわからないから、訴額は算定不能というべきである。

 次に、税務訴訟以外に目を向けると、生活保護とか年金その他の給付を求める訴訟でも、私人間の請求とは異なって、請求権があるのに国家がこれを妨害しているとして出訴しているのであるから、国民の裁判を受ける権利をできるだけ実現する観点から言えば、印紙代の負担を課すべきものではない。
行政訴訟は主観訴訟とされているが、原告個人に特有の事情が理由となるとはかぎらず、行政庁側の法的な見解や一般的な運用方針が違法とされる場合が多い。これは民事訴訟でも起きるが、行政訴訟では特に起きやすいことである。原告が勝訴すれば、それが原告のためだけではなく、法的な意味での判決の効力の範囲を超えて法制度の改革など、公共の利益に寄与する。そうした可能性のある訴訟で、結果として敗訴したら原告だけに高額な訴訟費用を負担させるのは、濫訴のようなものを除けば不合理である。
訴えを却下すれば裁判所は楽であるから、訴え却下の場合も本案判決にまで至ったのと同じ印紙代を取られるのは不合理である。

 また、勝訴確率との関係で印紙代が割が合うかを考えるために、ちょっと計算すると、訴額三〇万円の場合印紙代は三、〇〇〇円であるが、高裁・最高裁まで争えば、印紙代の合計は、一三、五〇〇円で、訴額の四・五%である。民事事件では原告の勝訴率が通常は約八〇%といわれるので、印紙代を投下しても訴えを提起する価値があるだろう。しかし、行政訴訟では最高裁までやって勝訴する割合は、正確にはわからないが、四・五%とたいして変わりはなかろう。そうすると、多くの原告の金の出入りを全部合算すれば、弁護士費用などを仮に度外視しても、訴訟で得られるものよりも、訴訟で出費する分の方が多くなり(勝訴率が四・三%以下の場合)、印紙代だけで訴訟は経済的に割が合わなくなる。訴額三〇〇万円でも、印紙代の合計は一〇一、七〇〇円で、三%を超える。弁護士費用を考慮すれば明らかに割が合わない。

 これに対しては、原告勝訴率が低いのは原告が出訴すべき事件を厳選しないためで、自業自得だという議論がなされかねない。たしかに、およそ勝ち目のない訴訟も少なくないが、それが必ずしも主流ではなかろう。むしろ、行政訴訟では、証拠と資料の偏在、法解釈の行政側独占といった事情のもとで、手探りで出訴せざるをえないので、この議論は、行政処分に誤りの可能性があっても勝訴の自信がもてない以上は出訴を諦めよということにつながる。これではただでさえ、「行政訴訟はやるだけムダ」という実情に拍車をかけることになる。疑問のある行政処分についてはなるべく法的な判断を仰げるようにすることが法治国家の要請であると考えれば、勝訴率との関係で高すぎる印紙代は思い切って撤廃すべきである。

 そうすると、訴訟数が増えるので勝訴率は下がるであろうが、それでも印紙代との関係での訴訟の割の悪さは解消するし、勝訴の絶対数は増えるであろう。それによる訴訟の増加は、国家的な負担になるが、行政訴訟数が人口比で台湾の三〇分の一、ドイツの二五〇分の一という現状では、法治国家の実現のために甘受すべき段階である。
 なお、提訴手数料が大幅に軽減されれば濫訴が起きるという反論もあろうが、行政訴訟ではよほど職権審理主義に転換しなければ、追行の負担が重く、負けるリスクが大きい以上、提訴手数料が無料になっても、濫訴のおそれはまずないだろう。現在、印紙代が八、二〇〇円で済んでいる住民訴訟、情報公開訴訟も、数は増えているが、結構原告勝訴があり、無茶苦茶な訴えという意味での濫訴はそんなに多いというようにはまだ評価されないだろう(本来は実証的な研究が必要であろうが)。
 ドイツ法(Gerichtskostengesetz)は日本法制に近い(しかも、訴訟費用は弁護士費用も含めて敗訴者負担)が、フランスでは一〇〇フラン(約二〇〇〇円)である。台湾の行政訴訟法九八条一項は行政訴訟では裁判費用を無料としている(ただし、二項で訴訟の進行に必要な費用は敗訴者負担)。

  以上の考察から、次に立法論と解釈論を行う。

 (オ) 立法論
 以上の考察によれば、印紙代を抜本的に低額にすべきであるし、算定可能かどうかも微妙であるから、算定可能かどうかといった区別をすることは適切ではない。そこで、立法論としては、抗告訴訟においてはすべて、印紙代は訴額算定不能として八、二〇〇円とするか、抜本的に無償とすることを提案する。

 むしろ、原告が国(地方公共団体も含めて)の法的な処理の違法を明らかにして勝訴すれば、法治国家の実現に寄与し、他の国民はフリーライダーとして反射的利益を受けることから、国民栄誉賞と感謝金を授与する制度を創設すべきである。
なお、かりに印紙代を残すとすれば、一審(あるいは二審)で勝訴したが、被告の上訴により最終的に敗訴した場合、印紙代が全部敗訴者負担になる(民訴法六七条二項)が、少なくとも、法律が不明確だったためか裁判が不適切だった場合には、原告勝訴の審級の印紙代を国家(裁判所)負担にすべきである。悪いのは、国家だからである。

 (カ) 解釈論
 解釈論としてみても、前記のように、課税処分でも給付拒否処分でも、取り消されても、判決の趣旨に従ってやり直されるだけで、どのような利益が得られるかは不明であるから、課税処分の税額、年金の将来受給額は民事の給付訴訟における訴額とは異なるものであり、結局、「訴えによって得られる利益」は算定不能というべきである。これに反する前記最高裁一九六〇年四月五日判決はあまりにも民訴的な発想だと思う。

 義務づけ訴訟でも、本当に義務づけられるかどうかは判決を待たなければわからず、審理の成熟性次第では、いわゆる指令判決(判決の趣旨に従って判断せよという判決)が下されるだけである。

 これまでの実務は、行政処分と行政訴訟の特殊性を知らずに、民事の一般的な考え方をそのまま当てはめているのではないか。したがって、行政訴訟では解釈論上も一般に訴額算定不能とすべきではないかと思う。そもそも、行訴法七条も、「民事訴訟の例による」と規定しているが、民訴法をそのまま行政訴訟に適用せよとしているのではなく、「行政事件訴訟法の本質に反しない限り」民訴法を適用するとしているはずである(48)。

 さらに、先に引換給付訴訟の場合、訴額はその差額であるべきだと主張したが、その考え方を適用すべき例が行政訴訟でも少なくない。

 土地収用裁決の取消訴訟の訴額は土地代とされているが、収用裁決が取り消されなければ補償金を得ることができ、収用裁決が取り消されれば補償金を得ることができないから、裁決取消訴訟は引換給付の請求のようなものであり、訴えによって主張する利益は土地の返還と補償金の差額にすぎないというべきである。

 換地処分がなされた場合には、従前地に代えて新しい土地を交付されるのであって、その経済的な損得は不明であり、換地処分が取り消されても、その得られる利益は、元の土地の価格ではなく、せいぜい従前地と換地の価格の差である。しかも、換地処分が取り消されても、従前地を交付されるとは限らず、処分がやり直されるだけで、結局は多少修正されるだけなのが普通である。したがって、この場合、訴額の算定は不能というしかないのである。
埋立海域で漁業している漁民が埋立免許の効力を争う場合も、漁業権が消滅せず原告らが引き続いて埋立海域で漁業に従事することができることによって得られる利益の価格によるとする説(49)がある。
しかし、埋立免許により漁業権を補償なしで奪われるのではないから、この場合、免許が取り消されれば、代わりに漁業補償を得ら しかし、事情判決が下されたときは、請求そのものは認容されなかったにしても、一審で違法と判断されている以上、次の賠償請求訴訟には既判力が及ぶので、れない。訴えによって主張する利益はその差額ではないか。そうすると、結局は訴額算定不能になる。

 いわゆる事情判決を受けて、原告が控訴する場合の実務の解釈をみれば、一審では違法と判断されているが、請求が棄却されているので、控訴のさいの訴額は、訴えを提起する場合と同額であるとされる。被告が控訴する場合には、請求が全部棄却されたとはいえ、処分の違法が確認され、後の国家賠償訴訟に既判力を有するから、これは財産権上の利益であるが、その訴額を算定することは著しく困難であるとして、算定不能扱いとするという(50)。
しかし、事情判決が下されたときは、請求そのものは認容されなかったにしても、一審で違法と判断されている以上、次の賠償請求訴訟には既判力が及ぶので、認容されやすくなる。原告は何も得られなかったわけではない。しかし、原告はそれではたりないとして控訴するのであるから、訴額は、一審判決で得られたものと二審で求めているものの差額と考えるべきである。それは算定不能である。
さらには、不作為の違法確認の訴えでも、不作為に係る申請を行政庁が認容した場合の処分によって原告の受ける利益を基準にして算定すべきであるというのが実務であったようである(51)。

 これに対して、石川正は、不作為の違法確認訴訟に勝訴しても、原告が当該申請により得ようとした利益が直ちに得られるわけではないから、これは非財産権上のものと考えるべきであると批判する(52)。全く当然なことで、なぜこんな実務が通用していたのか、理解できない。

 今は、「不作為の違法状態を排除することによって具体的な予防利益が考えられる場合については、算定は可能である、そうでない場合については算定は困難である。注)非財産権上の損害とする説もある」と解説されている(53)が、これは具体的な予防利益であっても、算定できるはずがないと思う。

 (キ) 共通の利益に関する判例の解釈
 ここで話を変える。一の訴えで数個の請求をする場合には、その価格を合算したものを訴訟の目的の価格とするが、その訴えで主張する利益が各請求について共通である場合における各請求についてはこの限りではない(民訴法九条一項)。そこで、一人で複数の訴えを提起したときは、その訴額を合算して、これに応じて印紙代を算定する。多数の者が、同じ行政処分の取消を求めたときは、その利益が全員に共通であれば、印紙代は一人分でよく(吸収説)、共通でなければ、その訴額を合算して、全体の訴額を計算し、これに応じて印紙代を算定する(合算説)。環境行政訴訟ではこのいずれの考え方によるべきか。

 合算説は、原告の主張する権利利益が各人に個別に帰属し、共通でないとし、反対説(吸収説)は、原告の主張する権利利益と訴えをもって主張する利益は別とするものである。

 これまで、原告住民は、全員共通説(吸収説)を主張し、判例でもこれを採用するものもあった。

 大阪高判平成五・一二・二一判時一五〇三号八五頁は、複数の原告が人格権、環境権などに基づきゴルフ場建設公示の差止めを求める訴えを提起した場合において、この訴えをもって主張する利益は、ゴルフ場の建設が中止されること自体であるから、その利益は原告ら全員を通じて共通のものとし、原告らが差止の法的根拠として主張している人格権、環境権、自然享有権、歴史的景観権などについては、これらの権利が侵害されることによって発生する各人固有の不利益の回復又は予防を本件において求めているわけではないから、差止を求める法的根拠として原告らが右のような権利を主張しているからといって、本件訴えをもって主張する利益が各原告毎に別個独立に存在するものといわなければならないものではない、と正当にも判示した。
大阪高判一九九三=平成五・八・九判タ八三四号二一八頁も、カンボジアへの自衛隊派遣差止・違憲確認訴訟において、原告らが差止を求める権利として、平和的生存権や納税者基本権と名付ける権利を主張しているが、個々の原告らに帰属するというそれらの権利が侵害されることによって現に発生している各人固有の不利益の発生の予防・回復を本件において求めている訳ではないから、原告らが右のような権利を主張しているからといって、本件訴えをもって主張する利益が原告毎に別個独立に存在するものといわなければならないものではないと正当に判示している(このほか、この判タ八三四号二二一頁にもその他の吸収説の例が挙げられている)。
この大阪高判の評釈をした上村明広(54)も、原告らが主張する権利は、本件ゴルフ場建設により影響を受ける地域住民全体の人格権や環境権などを包括的に主張したものと見て、判旨に賛成している。

  しかし、下級審判例の多数は、合算説であった。多少最近の判例を紹介する。

 湾岸戦争のためにわが国が九〇億ドルを支出することの差止などを求めた事件では、差止の根拠となる平和的生存権は個々の原告毎に別個独立して存在するとされた(東京地命一九九一=平成三・五・二七判時一三九一号一五六頁)。横浜市が公園内に建築を予定している能楽堂の建築禁止を求める集団の調停申し立てにつき、その根拠とする環境権などが申立人に共通ではないとした(横浜地決一九九一=平成三・一一・一三判時一四一六号一二一頁)。道路拡幅及び高速道路建設事業の認可の取消を求める多数住民の訴え(環状六号線訴訟)につき(東京地決一九九二=平成四・二・一〇判タ七八九号二五一頁、東京高決平成四・七・二九判時一四三六号一八頁、東京地決平成四・二・一〇判タ七八九号二五五頁、東京高決平成四・七・二九判タ七九六号二二〇頁)、ゴルフ場の開発許可につき(広島高決一九九八=平成一〇・三・九判タ九七七号二六〇頁)同様である。

 前述した高浜原発訴訟でも高速増殖炉もんじゅ訴訟でも、聞くところによれば、合算説が取られていたということである。琵琶湖環境権訴訟(大津地判一九八九・三・八判時一三〇七号二四頁)でも同様であった(55)。

 これにつき、最近、最高裁(前記最決二〇〇〇・一〇・一三判時一七三一号三頁判タ一〇四九号二一六頁)は、開発区域の周辺に居住する多数の原告らが林地開発行為許可処分の取消しを求めた事件に関して、原告らが主張する水利権、人格権、不動産所有権等の利益は、その性質に照らし、各原告がそれぞれ有するものであって、全員に共通であるとはいえないから、結局、本件訴訟の目的の価額は、各原告の主張する利益によって算定される額を合算すべきものである(民事訴訟費用等法四条一項、民訴法八条一項、九条一項)とした。下級審判例の多数に従ったものであろう。

 しかし、これは、解釈論としても、「訴えで主張する利益」と、この訴えの根拠なり原告適格の根拠を混同しているもので、賛成できない。

 裁判所は、原告が、水利権とか、安全な水を保障される権利などを主張するから、これを「訴えで主張する利益」と考え、それは原告個々に異なっていると解釈している。しかし、原告らはこの訴訟でこれらの権利を確認せよと主張しているわけではない。原告らが主張しているのは、あくまで開発許可の違法性であって(抗告訴訟の訴訟物は処分の違法性一般である)、開発許可のない状態の回復こそが「訴えで主張する利益」であるから、それは原告全員に共通のものなのである。水利権その他の権利の主張は、周辺住民の原告適格の根拠(行訴法九条)および本案である許可の違法性を根拠づける法的な構成にすぎない。この最高裁判例は行政訴訟の特質を知らず民事訴訟の発想で行政訴訟を論じている弊害がある。この点で、前記の吸収説に立つ大阪高裁の二つの判決が妥当である。
また、一九九六=平成八年の新民訴法の立法理由(56)では、「原告各人の利益が共通する集団訴訟(例えば、差止訴訟)については、かねてから提訴手数料が高額になるために提訴を妨げるおそれがある旨指摘されていたが、この点については、新民訴法第九条第一項ただし書により訴訟物の価格を合算しないという立法的解決がなされた」とされている。この最高裁判決はこの新民訴の思想に反する。

 なお、住民が集団訴訟を提起しなければならないのは、わが国では団体訴訟が認められていないからであるが、諸外国(少なくとも、アメリカ、フランス、ドイツではある程度認めている)のように団体訴訟を許容すれば、集団訴訟の印紙代の問題を解決できる。
 なお、地方自治法二四二条の二で定める住民訴訟では、「訴えをもって主張する利益」は「これを実質的に理解し、地方公共団体の訴額が回復されることによってその訴えの原告を含む住民全体の受けるべき利益」をいうので、これは勝訴判決によって地方公共団体が直接受ける賠償額と同一ではありえず、単にこれを算定する客観的・合理的基準を見いだすこともきわめて困難であるから、算定不能とされている。そして、この訴訟は住民全体の利益のために追行するものであることからすれば、複数の住民が共同して出訴した場合でも、各自の「訴えをもって主張する利益」は同一である(最判一九七八・三・三〇民集三二巻二号四八五頁)として、印紙代は一人分でよいとされている。

 これを援用して、集団的な差止訴訟では、差止による利益は集団全体が受ける利益であり、団体自身が原告となる場合との均衡も考えると、原告が複数でも、印紙代は一人分だという説がある(57)。
 これに対しては、藤田耕三は、住民訴訟は住民の参政権にかかわる公法上の訴訟であり、裁判例一般の考え方からすれば、この住民訴訟に関する最判の射程距離は集団的差止訴訟や環境行政訴訟に及ばないと解することになろうかとしている(58)。最判の射程範囲としてはその通りであろう。

 また、前記東京高決一九九二=平成四・七・二九判時一四三六号一八頁も、会社の合併無効確認訴訟などは自己の利益の回復を目的とするものではなく、あくまで会社の正常な運営を図ることが目的であり、その意味で原告らの受ける利益は共通であるのに対して、道路公害を阻止するための訴えは、原告らがそれぞれ享受すべき権利利益の維持回復を目的とするので、両者は明らかに訴訟類型を異にするとしている。

 (ク) 国家賠償訴訟の場合
 国家賠償請求では特に印紙代が大変な負担になるため、国民の権利救済が阻害されている。被害者が行政権の被害を受けて、司法権に救済を求めると、高額の手数料を取られるのはおかしくないか。行政権が侵害したのを司法権が救済するのであるから、司法権としては手数料を徴収する必要があるという議論があるかもしれないが、それなら、司法権の違法行為に関してはどうなのか。国家賠償請求は民事上の請求ではあるが、民事法にはない法治国家の原則に基づく制度であって、その判断は社会公共の利益にも寄与する場合が多いので、民事訴訟の一般原則にとらわれずに考えるべきである。
しかも、被告の国は印紙代を税金で払うので親方日の丸である。国側には提訴手数料の濫上訴抑制効果は働かない。
国・地方公共団体相手の国家賠償訴訟以外の民事訴訟については、両当事者が対等である建前であるから、私人間の民事訴訟と同様に考えるべきか、それとも、私法上の訴訟であれ、国や地方公共団体は親方日の丸で上訴しやすいから、異なると考えるべきか、目下のところ、自信がない。


(36)   藤田耕三「環境行政訴訟の諸問題」新・実務民事訴訟講座10(日本評論社、一九八三年)一二八頁。
(37) 本文で述べたように、実務の根拠になっている一九五六年一二月一二日付最高裁民事局長の各長官・所長あての通知「訴訟物の訴額の算定基準について」は民事裁判官が作成したものであろうし、「民訴費用等等研究会報告書」も、民事訴訟法学者と実務家で構成された研究会でまとめられたものである(ジュリスト一一一二号五八頁)。
(38) 司法研修所編『改訂 行政事件訴訟の一般的問題に関する実務的研究』(法曹会、二〇〇〇年)四五頁以下、最高裁判所事務総局監修『主要行政事件裁判例概観9 総論(手続法編V)』(法曹会、一九九七年)九一頁以下参照。
(39) 前掲『改訂 行政事件訴訟の一般的問題に関する実務的研究』四八頁、本文で引用した『訴額算定に関する書記官事務の研究』四頁も同様。
(40) 前掲『改訂 行政事件訴訟の一般的問題に関する実務的研究』四六頁。
(41)  前掲『改訂 行政事件訴訟の一般的問題に関する実務的研究』五四頁。
(42) 前掲『改訂 行政事件訴訟の一般的問題に関する実務的研究』五五頁。
(43)  この点の検討は、金子宏直『民事訴訟費用の負担原則』(勁草書房、一九九八年)八頁以下参照。
(44) 藤田「前掲」一二九頁。
(45) 神戸地裁の方は筆者の問い合わせによる。名古屋地裁の実務は大場民男弁護士の教示による。前記『訴額算定に関する書記官事務の研究』五頁は、引換給付の訴えにおいても、原告が求める請求権の価格がそのまま訴額になるのであり、その価格から反対給付の額を控除した額が訴額になるのではないとするが、その理由を説明していない。同書一八六頁は無条件の給付訴訟に対して第一審で引換給付判決がなされたので、原告が控訴するときは訴額は給付と引換えに出えんを求められた部分であるが、被告が控訴するときは、その不服は第一審の請求そのものとなるとする。「反対給付を考慮しなければ、原告の請求自体は、第一審判決において完全に認められているからである」とするが、なぜ反対給付を考慮しないのかわからない。被告が高裁で完全に勝訴した場合に受ける利益は、第一審の請求と反対給付の差額ではなかろうか。さらに、同著三〇七ー三〇八頁参照。引換給付判決の控訴の印紙について、引換分は考慮しないとの結論である。
(46)  前掲『訴額算定に関する書記官事務の研究』二四頁。
(47) 中野貞一郎「訴訟物の価格」判タ七五六号(一九九一年)七頁、同「訴訟物の価格ー、民訴法論点ノート12」判タ八三三号(一九九四年)三〇頁参照。
(48) 園部逸夫編『注解行政事件訴訟法』(有斐閣、一九八九年)七七頁、南博方編『条解行政事件訴訟法』(弘文堂、一九八七年)二二五頁。
(49) 藤田耕三「前掲」一二九頁。
(50) 最高裁事務総局編『民事費用法に関する執務資料』(法曹会、一九七三年)五五頁以下。
(51) 行政裁判資料五一号九一頁。石川正「不作為の違法確認の訴え」『新・実務民事訴訟講座9』(日本評論社、一九八三年)一一一頁による。
(52) 石川「前掲」。
(53) 前掲『改訂 行政事件訴訟の一般的問題に関する実務的研究』五五頁。
(54) 判評四三五号二二一頁。このほか吸収説によった実務もある。前掲『訴額算定に関する書記官事務の研究』一五一頁。 
(55) さらに、金子宏直前掲『民事訴訟費用の負担原則』四一頁以下、最高裁判所事務総局監修『主要行政事件裁判例概観9 総論(手続法編V)』(法曹会、一九九七年)九七頁以下参照。
(56) 前掲「民訴費用制度等研究会報告書」ジュリスト一一一二号六一頁。
(57) 谷口安平「集団訴訟の諸問題」新・実務民事訴訟講座3(日本評論社、一九八三年)一七六頁。ただし、これは、正当な原告数を超える部分については合算するという考え方を提唱する。
(58) 藤田「前掲」一三〇頁。


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