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司法の規制改革
ー法曹・裁判所改革とロースクール構想批判ー

福井秀夫

八代尚宏編『社会的規制改革』
日本経済新聞社(2000)所収

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1.はじめに

 司法改革論議が盛んになっている。司法制度改革審議会設置法に基づき、1999年7月には司法制度改革審議会が政府に設置された。これに先立ち経済界では1994年6月、経済同友会が「現代日本社会の病理と処方」で、法曹人口の大幅な増員、法律扶助制度の充実等の司法改革の必要性を提言、1997年1月には「グローバル化に対応する企業法制の整備を目指して」で、多様な人材に法曹資格を与えることの必要性等を提言した。経済団体連合会は、1998年5月「司法制度改革についての意見」で、裁判官の増員、企業法務実務担当者に対する法律事務取扱権限の付与等による法曹人口の増大、裁判官以外の法曹有資格者からの裁判官任用等を提言した。自由民主党は、1997年6月司法制度特別調査会を設立し、1998年6月「司法制度特別調査会報告」を取りまとめ、法曹の質・量の強化、大学教育における法学教育のあり方、法曹資格の付与のあり方、法曹一元等を検討課題とし、政府において司法改革に関する審議会を設置すべきことを提言した。学界では21世紀政策構想フォーラム法律部会(1)は、1998年6月「司法改革への提言」で、裁判官キャリア制の見直し、弁護士の業務独占の改革、立法改革の必要性等を提言し、同年11月「司法改革委員会の設置について−司法改革への道筋」で、司法改革の原案作成主体が法曹の組織代表であってはならない旨の提言を行った。日本弁護士連合会(以下「日弁連」という)では、1998年11月、法曹一元、陪審制・参審制の導入、法律扶助制度の拡充等を内容とする「司法改革ビジョン」を作成した。
 このように、各界の司法改革に寄せる関心は急速な高まりを見せている。本稿ではこれまでの司法改革の論点を整理し、基本的な司法改革の道筋を提示するとともに、司法制度改革審議会や、立法府における制度改革論議の基礎的知見を提供することを目的とし、特に司法に係る各種規制の問題点とその改革の方向性について中心的に論じることとする(2)。

2.問題の所在
(1)改革の視点

 現在の司法改革論議には様々な観点が存在するが、その多くは法律サービスの需要者の視点から弁護士、裁判所等の司法サービスの供給の量と質を増大させるべきことが底流となっていると思われる(3)。

 法務省調べによれば、日本の法曹(裁判官、検察官及び弁護士)人口はきわめて少なく、アメリカをはじめとする先進諸国と比べて法曹の量において、大きな格差が存在している(表1)。司法統計年報によれば、地方裁判所民事新受件数は近年増加傾向を示し(図1)、地方裁判所破産事件新受件数も急速に増加しつつある(図2)。これに対して、下級裁判所の裁判官の増員数は近年数名から十数名程度で推移し、1999年でも30人の増員が行われたにすぎない(表2)。国家予算に占める裁判所予算額も法務省調べによれば、1988年に0.42%であったが1999年には0.39%にとどまっている。知的所有権紛争の増大等、現代的で複雑な紛争処理の必要性の増大にも拘らず、司法のインフラは依然として極めて脆弱な水準にとどまっている。また、司法は量的に小さいのみならず、必ずしもその質がよくないとの指摘も根強い(4)。長い裁判、高い裁判費用、不親切な対応という指摘もある(5)。

 司法とは、国家権力による紛争解決機能である。民事事件では、日々社会で行われる膨大な量の契約について当事者の理解に食い違いがあったり、債務不履行がある場合に、最終的に司法による契約の意味や権利の確定とその実現の履行担保が行われる。交通事故紛争等の不法行為法の領域では、偶発的な損害の発生について誰にどの程度の責任を負わせることになるのかについて終局的に司法権が確定することになる。契約法、不法行為法を通じて重大な含意を提供するコースの定理(6)によれば、権利が明確に法に記述され、その実現のための取引費用がゼロであるならば、誰に権利を配分しても常に資源配分は最適化される。この政策的含意は次の三点である。

 第一に、法は権利の内容を明確に定めるべきであり、第二に、法は取引費用を極小化するよう手続を定めるべきであり、第三に、法は取引費用の総和を小さくするよう初期権利配分を定めるべきであるという三点である(7)。取引費用の構成要素として最終的に最も重要となるのが、司法の迅速性と信頼性である。司法的裁定に時間がかかればかかるほど、また司法的裁定の内容に当事者が信頼をおくことのできる度合いが小さければ小さいほど、また司法的裁定とその実行に必要とされる時間と金銭の費用が高ければ高いほど、契約や不法行為の処理に係る取引費用は増大し、その程度に応じて市場は失敗する。司法的裁定・実行が迅速、確実かつ安価になされることは、自由な市場が十全に機能するための制度的前提となるのである。

 このような観点から現在の法曹サービスの供給状況を見ると、多くの問題を抱えている。法曹になるための原則的ルートである司法試験による参入規制はその典型である。司法試験は、建前は資格試験であるが、実際上は司法研修所の定員による制約、法曹人口増加がその質の低下をもたらすという見解等を理由として、競争試験として運用されてきており、司法サービス供給の重大な制約として機能してきている。司法試験の合格者を増大させ、弁護士間の法役務のコストと内容におけるサービス競争を促すことが、この観点からは重大な課題となる。

 しかし、ここで次の点を認識しておくことは司法改革論議全般を通じて極めて重要である。すなわち、司法サービス需要は法の明確性と反比例の関係にあるという事実である。司法サービス需要のおおむねを占める民事事件は、帰するところ私人間紛争の法による終局処理である。両当事者のうちいずれが最終的に勝利を収めるのかについて予測が極めて明確である程度に法がその結論を示唆しているのであれば、敗訴予定者にとっては裁判を維持することは無意味であるから司法サービス需要は発生しなくなる。裁判による紛争解決をあくまでも両当事者が目指すのであれば、それは両当事者のいずれもが自分に勝利の可能性があると信じるがゆえにほかならない。しかし、これはアプリオリに存在する司法の特質ではない。司法の作業とはすなわち法の解釈である以上、法の解釈を司法権が示さない限りいずれの言い分に理由があるのかをあらかじめ予測できないという事態は、立法に記述する権利や義務の明確性そのものに問題があるからであり、司法的紛争が発生するのは人為的な産物であると考える必要がある。

 国家機能の三権の一つである立法府が、自身の作る立法を不明確なまま温存し、司法による解釈に委ねる余地を広く残しておいたまま、三権のもう一つである司法が過大な需要により機能不全となっており司法改革の必要性が叫ばれるに至ったというのは、実は国家全体としてみれば矛盾であるのみならず、一種のマッチポンプである。法の明確化により必要のない司法サービス需要を発生せしめないよう法の構造改革を行うべきであるという視点が忘れ去られたまま司法改革論議が進んでいくことには問題が多いというべきである。

 本稿では、司法は、本来法が明確であればその機能が極小化されて然るべき必要悪であるという認識にたって論述を進める。その限りにおいて司法が十分な質と量であるべきことは当然であるが、併行して法の明確化、取引費用の低減というコースの定理の含意を立法により実現していくことこそ、本質的に法治国家として追求していくべき目標であることを忘れてはならない(8)。

(2)現行規制の実態と論拠
 現在の法曹サービス供給への参入規制等の実態とその論拠を見てみよう。まず、法曹人口の増員を阻む最も基本的要因である法曹資格に関する規制は次のとおりである。法曹資格の典型的ルートは司法試験である。司法試験に合格し、司法修習を終えないと、原則として法曹、すなわち裁判官、検察官又は弁護士になることはできない(司法試験法1条、裁判所法43条・66条・67条、検察庁法18条、弁護士法4条)。司法修習生は、司法試験合格者の中から最高裁判所が任命する(裁判所法66条)。司法修習生は修習後の試験に合格し、司法修習を終えることによって弁護士となる資格を有する(裁判所法67条、弁護士法4条)。一方、司法試験合格後司法修習を終えなくても5年以上次の職にあった者は弁護士となる資格を有する(弁護士法5条2号)。簡易裁判所判事、検察官、裁判所調査官、裁判所事務官、法務事務官、司法研修所等の教官、衆参両議院の法制局参事、内閣法制局参事官である。また、司法試験合格者でなくても5年以上法律で定める大学の学部、専攻科又は大学院で法律学の教授又は助教授の職にあった者は弁護士となる資格を有する(弁護士法5条3号)。一方、弁護士の法律事務に関する業務独占が法定されている(弁護士法72条)。

 さらに外国弁護士については、日本国内での活動が厳しく制限されている。占領下の1949年に弁護士法7条で認められた外国弁護士は1955年廃止されたが、アメリカ政府、EC委員会からの要請を受けて1986年には外国弁護士による法律事務の取扱いに関する特別措置法(以下「外弁法」という)が制定され、外国弁護士受け入れ制度が再導入された。外弁法については、1994年、相互主義の緩和、職務経験要件の緩和、特定共同事業の許容、事務所名称についてのローファーム名称使用の許容等を内容とする改正法が成立し、1995年に施行された。1996年には外国弁護士等による国際仲裁事件の手続代理についての自由化措置が講じられた。1998年公布・施行の外弁法改正では、渉外的要素を有する法律事件については外国法事務弁護士と日本弁護士による官公署手続の代理や提出文書作成のための共同事業が許容されることとなった。同改正では、外国法事務弁護士の職務経験要件が5年から3年に短縮され、また第三国法に関する法律事務も書面による助言を受けて行えることとなった。しかし、現行外弁法の下でも外国法事務弁護士は日本弁護士や準法律専門職を雇用することが禁止されている(外弁法49条1項、司法書士法19条1項、弁理士法22の2第1項ほか)。

 結局のところ、現行の外弁法においては、外国法事務弁護士は資格を取得した外国の法と法務大臣の指定を受けた特定の外国法に関する法律事務で日本国内の裁判所・官公署等における手続についての代理等の一定の法律事務についてのみ、狭い範囲で、かつ限定された関与の仕方で法律事務を取扱うことができるにすぎない。
 現行の法曹への参入規制に係る論拠を挙げてみよう。法曹人口の大幅増員に関しては、日弁連が極めて消極的といわれる(9)。日弁連「司法改革ビジョン」にも裁判官、検察官の増員の提言はあるが、弁護士増員を意味する司法試験合格者増等には一切触れられていない。司法試験合格者の増大については、法曹三者に学識経験者が加わった法曹養成制度等改革協議会の意見書(1995年11月)で、多数意見として中期的に1,500人程度の合格者を目指す意見が提示された。1997年には法曹三者による三者協議会において、それまで毎年700人程度であった司法試験合格者を1998年度には800人程度に、1999年度より1,000人程度に増員することが合意された。規制緩和推進3か年計画(1999年閣議決定)では、「司法試験合格者の1,500人程度への増加については、修習の内容や方法の改善、司法修習生の修習先への受け入れ態勢等について継続的に調査・検討を行ったうえで、国民各層からの意見を反映した新たな中立的立場で行う検討の結果をも踏まえて、適切かつ迅速に検討を進め、早急に結論を得て、所要の措置を講ずる。その際、司法試験合格後における民間における一定の実務経験を経たものに対して法曹資格の付与を行うための具体的条件等を含めた制度的な検討も行う。なお、いわゆる隣接法律専門職種と弁護士との役割分担の在り方等についても、司法試験法及び裁判所法の一部改正法等による措置の状況等を見つつ、検討すると記述された。

 規制維持に関する法務省等の見解については、1995年規制緩和に関する論点公開(行政改革委員会)及び1999年規制緩和に関する論点公開(規制改革委員会)に代表的なものが収められているが、これらの要点は次のとおりである。
 まず、法曹人口不足による司法の機能不全に対しては、次の意見が提示される。訴訟遅延等は、司法の総体的な容量が小さく裁判制度が利用しにくいためであり、法曹人口の問題はその要素の一つにすぎない。司法試験合格者が増えても、裁判官、検察官の増員が期待できず弁護士のみが増加し、その結果訴訟遅延等が進むだけである。法曹人口の増加にあっては、法律扶助制度をはじめとする司法基盤を整備するとともに、裁判官、検察官等のバランスをとった増加をすべきである。

 法曹増員による競争原理の導入については、次の意見が提示される。弁護士は公益的公共的活動を行っており、司法基盤の整備をぬきに弁護士の大幅増員を導入しようとすると、非採算部門の切り捨てにつながり、弁護士本来の役割を果たせなくなる。弁護士が増加すると過当競争となり、無用な紛争発生を未然に防止する機能が損なわれ、濫訴と一層の訴訟遅延を招く。

 増員の規模と研修の在り方については次の意見が提示される。法曹養成制度等改革協議会における司法試験合格者の年1,500人への増員論は実証的・科学的検討が加えられていない。

 日弁連の位置付けについては、次の意見が提示される。高度な自治権を有する日弁連が反対しているから法曹人口の増加が図れないというのは、自治権に対する誤解であり、弁護士自治の核心は資格授与と監督権の行使を国家ではなく、弁護士会が行うことにある。法曹人口問題に対する日弁連の対応は、会内合意に基づく提言であり、自治権が非難されるいわれはない。1970年、1971年の国会付帯決議により司法制度の改正に当たってはあらかじめ最高裁判所、法務省及び日弁連の法曹三者の意見を一致させる必要があり、法務省だけでは改正案を提出することはできない。

 弁護士法72条による法律事務独占の廃止論については次の意見が提示される。弁護士は厳格な資格要件の下に、職務の誠実適正な遂行のための規律に服している。資格がなく規律に服さない者が法律事務に介入すると、法律秩序を害し、依頼者保護の観点からの問題が生じる。諸外国も非弁護士による法律事務の取扱を禁止しているのが大勢である。法曹人口の問題には、弁護士法改正ではなく、採用人数の増加で対応すべきである。

 次に、弁護士、裁判官等に関する規制緩和要求に対する法務省の見解を紹介する(10)。非常勤裁判官制度により、少額裁判、執行裁判等の迅速化を図るべきであるという意見に対して、弁護士として一方の当事者の利益保護のために活動する合間に裁判官としての職務を行うのは一般的な理解と信頼を得ることができるかという問題があるとして、現行制度の維持を主張する。

 弁護士の兼職や営業制限規定を廃止すべきであるという意見がある。弁護士法30条によれば弁護士は国会議員等一定の公職を除き、報酬ある公職を兼ねることができないこととされている(同条1項)。併せて、弁護士は所属弁護士会の許可がなければ営利企業等の使用人、取締役等になることができない。法務省によれば、この制限の撤廃は次の理由で妥当でないとされる。弁護士は重要な使命と職責を担っており、職務に専念することが求められているため、兼業によって弁護士の職務遂行に障害が発生する恐れがある場合にはこれを許容することができない。弁護士が営利目的のための事業等に携わることを制約なく認める場合には、弁護士の品位と信用の保持に十全を期し難くなる恐れがあるため、やはり許容することができない。

 弁護士法72条の業務独占、同法73条の他人の債権を譲り受けて権利を実行することを業とすることの禁止の緩和を求める意見には次のように述べる。弁護士の資格要件がなく厳格な規律にも服さない者が、自己の利益のために他人の法律事件に介入することを業とすることを放置すると、当事者等の利益を損ね、ひいては法秩序を害する恐れがある。また、他人から権利を譲り受け訴訟等によってその権利を実行することを業とすることを認めれば、ことさら紛争を起こすなど当事者その他の関係人の利益を損ね、やはり法秩序を害することになる。したがって現行弁護士法の規制を見直す必要はないとする。

(3)司法改革の主体
 司法改革の主体について検討する。司法制度は国民の権利義務を画する規律であって、憲法に適合する限りにおいて司法制度の立案、実施に責任を負うのは立法府以外には想定できない。立法府は、司法権や行政権よりは国民各層の利害を忠実に反映できる。国民には司法サービスの需要者も供給者もすべて含まれ、投票行動を通じてその意思が実現できる。

 ところが前述したように、1970年参議院法務委員会、1971年衆議院法委員会のそれぞれの国会付帯決議においては、日弁連、法務省、裁判所という法曹三者の意見を一致させて司法制度の改正を行うべき旨が定められている。この制度は、三者のうち一者がいかなる改革提案に対しても絶対的拒否権を発動しうるということを意味し、現実に法務省の施策を日弁連が阻止するという機能を果たしてきた(11)。このような制約が、外在的にもたらされたのであれば、国会の審議権の否定にほかならず、立法権の侵害と言うべきであるが、国会自身が事前の談合を司法サービスの供給者で利害当事者でもある法曹三者に要求しているのであるから、立法府は責任を放棄している。このような制約の下では、司法サービスの需要者にとって必要な改革がおよそ国会審議の場に提出される可能性が著しく小さくなるのみならず、司法サービスの供給者にすぎない法曹三者が合意しさえすれば、それがいかに消費者利益を損なうものであっても容易に立法化されうることをも意味する。およそ民主主義に反する奇怪な制約である。司法改革は、法曹三者の現状そのものに看過すべからざる問題があり、法曹三者のみの議論によっては十分な改革を実現することはできないという認識に立って行わなければならない。行政改革論議の際には、改革の当の対象である行政はいわばまな板の鯉として立案への関与を建前上封じられた。今回の司法改革の作業にあたっても、法曹三者はあくまでも事実や意見を述べる参考人にとどまらなければならない。衆参両議院は、上記付帯決議を廃止する旨速やかに決議すべきである。

 また、法解釈学研究者も法的サービス供給の重要な一翼を担っている。裁判官、弁護士、法解釈学者等はいずれも法的サービスの供給を行うことによって糧を得ている。法の不明確性に由来する法解釈の曖昧性や法解釈の対立を処理するという供給者に対して、人為的に発生させられている法的サービス需要を減少せしめたり、法的サービス供給構造の効率化、競争促進により法的サービス供給者としての利潤の減少を招くような行為に好意的に対応することを常に期待することはできないのである。法解釈学の専門家は、実務家であれ、研究者であれ、その職業的な制約から完全に自由であることは困難であるという前提の下で司法改革における論議の取捨選択も進める必要がある。

 現在設置されている司法制度改革審議会の委員は、法学界から公法、私法、刑事法一人ずつの計三名、法曹界から日弁連、裁判所、検察庁の法曹三者のOBが各一名、このほか消費者団体代表一名、経済団体代表二名、労働団体代表一名に加え、恐らく所属と関わりなく選ばれた委員も三名任命されている。従来の法曹三者協議という談合システムから見れば、法曹三者関係者がすべてOBであることは、大きな変革の第一歩として評価に値する。しかし、OBとはいえそれぞれのかつての所属組織を完全に離れて審議に参画することは困難かもしれない。また、法解釈の研究者を中心に学識経験者枠が占められていることも問題である。供給者、消費者それぞれの利害得失、社会経済的な厚生の総和の増減等
、制度の効果を最も過不足なく客観的に分析できる方法論はミクロ経済学であるが、その専門家が全く含まれていないというのは驚くべきことである。この人選では、法律専門家の立場のバイアスが強くなる危険がある。供給者主導の改革の歩みがあまりに遅く、市民や企業の利益を損ねがちであったという反省に立って司法改革を行う以上、法的サービス供給者は原則として意見陳述者に留めるべきであった。司法改革の論議は、司法制度改革審議会の審議のみに委ねず、これと併行して現行の司法サービスに不満を持つ国民各層がねばり強く深めていくべき性質のものである。

3.司法試験の問題点
(1)司法試験の意味

 司法試験は法曹となるための原則的ルートである。また、司法試験合格後、これまでは2年間、1999年度からは1年6ヶ月間の司法修習を終了することも法曹となるための原則的要件である。日本の司法試験が超難関であり、合格者の多くが20才代のほとんどを司法試験受験勉強に明け暮れることは広く知られている(12)。しかも近年では、著名大学法学部の講義を受講するだけでは合格できず、むしろ大学の講義に欠席してでも司法試験受験予備校に通学するのが多くの受験者の常識となっている。このような超難関試験が法曹への参入規制となっているのは明らかである。

 大学教育や資格制度を通じた法曹への参入規制については、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ等の先進諸国でも古くから制度化されてきたが、いずれの諸国においても、法曹の構成員の中で分化が生じ、他業種との関係のみならず法曹同士の関係でも競争原理が進展し、参入制限や競争制限を通じた法曹サービスの供給制限による法曹の権益擁護が近年大きく崩され、法曹の大幅な増大、独占的権益の崩壊が引き起こされつつあることは、片岡(1991)に鮮やかに描き出されている。片岡(1991)161頁は、「経済成長に伴って増大した需要に対応して法的役務を供給するためには、法曹人口の適度な増加と法曹内部での競争制限措置の緩和が不可欠となるのである。それは、中世以来続いてきた法曹の権益擁護措置と近代資本主義社会における市場原理との矛盾を認識することでもある。この矛盾に背を向けて法的役務の供給制限を続けようとするならば、法曹は歴史的な「遺物」にすぎなくなってしまう」と総括するが、先進諸国の社会経済情勢の急激な変化と法曹制度の大転換を実証的に分析した記述は極めて説得力がある。

(2)試験による質の確保は可能か
 日本の司法試験にも法曹となるための一定の資質を確保し、情報の非対称性を補うことで劣等なサービスの供給を未然に防止しようという意味があるのは理解できる。情報の非対称性が存在するとは、市場で取引を行う当事者相互間で、取引に関して有する情報に相違があることをいう。財やサービスの供給者がその品質を知り得るのに、需要者が事前にその品質を知ることができない状態は、その典型例である。

 弁護士による法的サービスが取引される市場でも、このような情報な非対称性が存在する。日常生活品であれば、消費者は購入・消費を繰り返す中で学習し、商品の品質を判断できるようになる。しかし、特に訴訟代理など専門的な法的サービスに関しては需要する機会が少ないため、このような学習効果が働きにくい。仮に弁護士に一切の資格制度が存在せず、提供される法的サービスについての質的担保がなかったら、消費者は品質を事前に判断できず、低価格だが劣悪なサービスを購入するようになり、その結果として良質なサービスは供給されなくなる。資格制度はこのような弊害に対処するための措置の一つである。

 しかし、現在のような難易度、少ない合格人員での資格付与が、質的なコントロールという大義名分の下において正当化されるか否かは極めて疑問である。

 第一に、質のコントロールの必要性が本当にあるのであろうか。専門職業でも、例えば大学教授には就任や昇格のための学歴や資格が一切必要とされておらず、各大学の主に教授会自治に委ねられている。大学教授の世界も他の職業集団と同様、個人の能力は千差万別であるが、少なくとも研究や教育の能力は、大学での評判、専門誌への投稿等で自ずと明らかになっているのが通常である。むろん学生等に被害者も存在するが、大学教授登用資格制度を作って質的規制を施すべきであるという見解は見聞しない。同様に、美術家、音楽家、各種インストラクター等についても任用資格は必要とされていない。その他のほとんどのサービス業においても同様である。広告が自由で、消費者による評価が繰り返され、市場での淘汰を受けることによってこれらは一定の水準を維持してきているのである。裁判官、検察官には別途の考慮が必要であるのは当然としても、弁護士資格の前提としての司法試験が個々の弁護士の業務に関する完全な情報開示を前提としてもなお必要であるか否かは疑問である。

 第二に、法曹への参入開始の一時点における優秀な試験成績がその後何十年もにわたって行われる法曹サービスの質を保証し得るはずがない。最初のペーパーテストの成績が以降の裁判官や弁護士としての適性を近似しているという想定自体に無理がある。法曹に必要とされるといわれる「人権感覚」や「正義感」が司法試験で担保されると考えること自体滑稽ではないか(13)。現実の多くの弁護士に対する評価が実質的にそうであるように、職業的倫理・能力に関わる事項は、市場の評価に委ねる以外のに適切な評価は存在しない。

 第三に、質の確保は仕事に関する競争によってこそ担保される。特に弁護士なら、訴訟事件であれば、依頼事件をいかに早く、いかに安く、勝利に導くかということにこそ弁護士の役割の根幹が存在する。法律相談であれば、紛争が生じることを未然に防止するための適切な措置を提示し、発生してしまった紛争については権利の実現のための適切な法的処方箋を提示することが求められる。このような能力の発露は、結局のところやってみなければ判断することはできない。仕事ぶりさえ広告規制等のない自由な情報開示体制の下で明らかになれば、依頼者は安心して選任できる。

 第四に、司法試験合格時点での要求法解釈学水準は、現行の試験制度が想定している水準よりもはるかに低くてもかまわない。情報開示さえ完全であるならば試験制度すら必要ない。仕事ぶりの情報の代替指標として必要とされる称号として考えるならば、現行の司法試験のような難関を突破することを求める消費者が存在するだろうか。もし、難関の試験をパスしているという事実の確認をどうしても必要とする消費者が存在するならば、合格者を増大させたうえで、弁護士に試験合格時の順位を広告する自由を与えればよい。本当に消費者がそのような意味での質を重視するのであれば、上位合格者はこぞって広告を出し、彼らは多くの依頼者を獲得するであろう。

 なお、司法試験受験回数の少ない者に対する優遇措置については、司法試験が正常な資格試験として機能するようになり、合格者の大幅な増員が実現するならば、このような差別を合理化する根拠は存在しなくなる。

(3)試験内容は辺境地帯
 司法試験に限らずおよそ法解釈学的知見を試験する際には想定されることであるが、法解釈学の最先端の知見とは、主として条文と最高裁判所判例によって決着がつけられた領域以外の解釈が分かれる分野での争点の体系化に関するものである。司法試験の中でも最難関とされる論述試験では、立法的解決がなされず、最高裁判所判例が固まっていない領域において様々な学説間の対立を踏まえて出題がなされる傾向がある。しかしこのような論点は、立法的に解決されたり、最高裁判所判例が出ればたちどころに論点ですらなくなる。しかし、法的サービス需要の圧倒的多数は、このような論点に関わらない定型的な分野の処理である。いわば、司法試験の内容の中心が法解釈の辺境地帯における病理現象と表裏一体となっているのに対して、現実に実務で必要とされる法的な知見はもっと平易で定型的かつ実践的な分野なのである。ふるいにかけるのはやむを得ないとしても、圧倒的多数に必要とされる資質とは無縁の頭の体操に近い「最先端」領域で合格者が選抜されるという実態は問題が多い。

(4)司法試験合格者増員反対論に理由はない
@「司法基盤整備」論は先決問題か

 司法試験合格者が増えても、裁判官や検察官が増えないから合格者増には反対という議論は妥当でない。裁判官、検察官が過少であることは当然であり、その増員を図るべきことは独立して追求すべき重要な課題ではあるが、裁判官、検察官、弁護士のいずれも増大させるべきであるという前向きの提言とならないのは奇妙である。裁判官、検察官の増員は先決問題ではなく、弁護士の増員と並ぶ関係にある。しかしさらに言えば、仮に裁判官、検察官の人員を現状維持するという前提の下であったとしても弁護士が増大することはやはり望ましい。弁護士が提供する法的サービスの質は向上し、価格が低下するからである。弁護士だけが増えると訴訟遅延が進むという理屈は成り立たない。むしろ、訴訟遅延の原因となるような弁護活動をする弁護士が淘汰され、訴訟の迅速化が進むと見ることが自然だろう。

 また、低所得者への法律扶助制度を整備せよという主張は、弁護士の増員を前提としない主張としてみればやはり奇妙である。法律扶助は法的サービス需要を増大させる。法的サービス供給、なかんずく弁護士の供給が増えないまま法的サービス需要が増大するならば、法的サービスの価格は法律扶助の程度に応じて上昇する。弁護士供給の制約を前提としているのであるから、法的サービス供給の価格弾力性は小さい。このような状況下での法律扶助制度は、法的サービスの需給均衡量の増大を伴わないまま、法的サービスの対価のみを上昇させる結果を招く。結局のところ、国庫、すなわち一般納税者から形式上法的サービス需要者を経由した弁護士への所得移転が行われることとなる。このような帰結は所得分配上公正であると評価することはできないのみならず、法的サービス市場の活性化にも寄与しない。

A「過当競争」は弊害をもたらすのか
 第一に、非採算部門の切り捨てにつながり、弁護士本来の役割を果たせなくなるという主張であるが、現在の弁護士にはサービスの供給義務は課されておらず(14)、現在でも、法的にも実質的にも非採算部門は既に切り捨てられている。むしろ法曹が増員され、競争が促進されるほど、非採算部門への参入は促進されると考えるべきである(15)。

 第二に、過当競争により濫訴と訴訟遅延が生じるという主張であるが、現在の法的サービス供給が過少であることを前提として法曹人口の増員が議論されているのであるから、現在よりも「過当競争」となることは元々望ましい。濫訴については定義が不明であるが、依頼者にとって採算がとれない訴えを提起する動機は存在しない。裁判のコストとその勝訴の期待値を差し引きして、後者が前者を上回る場合に訴訟が提起されるのであるから、弁護士が増大し、そのサービスの対価が低下することによって訴訟が増大することは、法的に正当な権利の実現機会が増大し、「正義」の実現のうえでも、正当な権利の実現によって得られる資源配分の改善の点においても望ましいことである。勝ち目のない裁判をたきつけて回るような弁護士は、競争が激化することによって自ずと市場で淘汰されることは必至である。このような訴訟の増大が裁判遅延を招くとすれば、そのための裁判官や裁判所予算の増大こそ課題とされるべきであって、現在のように裁判救済の機会を特権的な一部の法的サービスの需要者にだけ享受させることを前提として、これまで泣き寝入りしていた人々は今後ともそうであれと要求するのは歪んだ正義観念である。

B司法試験合格者年1,500人論の実証的・科学的検討は必要か
 既に論じたように、司法試験制度の唯一の役割は法的サービス需要者にとっての情報の非対称を補うことにのみあるというべきであるから、司法試験制度に法的サービスの需給調整の役割を委ねることは誤りである。したがって司法試験合格者数の決定に当たって需給調整の観点からする需要予測や供給予測を勘案することは無益有害である。言い換えれば、社会的にコンセンサスを得られる一定の質の確保さえ合格時点で行っておくならば、その質を満たす合格者が年間何人発生しても、その数量的コントロールは一切すべきではなく、ましてや1,500人増員論についての「実証的」「科学的」検討など一切無用である。現在の司法試験合格者が質の確保の観点から見ても異常に少ないことを前提とするならば、合格時点での緩やかな質の確保のみを行い、その結果生じる合格者は毎年何万人となっても構わない。司法試験合格者論は数値の絶対的目標の呪縛から解放されて行うことが必要である。

C日弁連の自治権の意味は
 日弁連に自治権があり法曹三者協議が必要である以上、法務省だけで改正案を提出することはできないという主張は、法務省に対するのみならず立法府や国民各層に対する一種の脅迫ではないだろうか。このような主張を繰り返してきたことこそが現在の司法改革論議の高まりを招いたことを関係者は認識すべきである。

(5)司法試験の機能特化
 司法試験合格者であっても、裁判官や検察官への任官にあたっては、実質的にもう一度選抜が行われているのが現状であるから、司法試験による一定の質の確保は実態上弁護士についてあてはまる機能である。それぞれの職責を考えれば、司法試験という統一試験によって裁判官、検察官及び弁護士のすべての採用資格を画する必然性は乏しい。

 アメリカ・イギリスはいわゆる法曹一元であって、特にアメリカでは司法試験合格から間もない者が
裁判官が任命されることは通常ない。マサチューセッツ州での連邦裁判官の任官時の平均年齢は54.2歳、連邦地方裁判所裁判官の任官平均年齢は47.3歳であるという(16)。ドイツのキャリア裁判官制は基本的に日本と同様であるが、フランスのキャリア裁判官制は弁護士の試験・養成制度とは独立しており、弁護士、公務員、民間企業から採用されるルートも存在している(17)。スペインもキャリア裁判官制度を基本としながら一定程度の弁護士からの任官もあり、オランダもキャリア裁判官制度を採用しながら採用人員の約半数は外部法律家であるなど、日本の司法試験が事実上裁判官・検察官についても唯一の採用ルートとなっているのと比べると、先進諸国では既に多様な人材からの採用が普遍化しつつある。このような方向性や法曹一元が実現していくならば、司法試験は弁護士試験としての性格をより強めていくことができるであろう。

(6)司法修習の廃止
 日本の司法修習は、裁判官、検察官又は弁護士になるために原則として常に必要であり、その期間も短縮されたとはいえ1年6ヶ月と長い。しかも司法修習生には国費により給与が支給され、司法研修所の収容能力や修習生の給与の財源制約が司法試験合格者増員の制約要因として語られることがある(18)。アメリカでは、法曹資格試験合格後の修習はそもそも一般には存在しない。イギリスではバリスタもソリシタも、事務所等における実務研修があるが無給である。ドイツでは有給の司法修習はあるが司法研修所はなく、裁判所、検察庁、法律事務所等で研修が行われる。フランスでは弁護士研修センターにおける研修があるが、無給で奨学金制度があるのみである(19)。

 裁判官、検察官としての研修が必要であれば、採用後の実務研修制度によりこれに対応すべきであるし、弁護士を想定した研修であれば他のどの資格にもない有給の国による直接研修制度を存続させる合理性はない。弁護士としての資質の陶冶のための研修であるならば、それこそ日弁連の「自治」に任せることが妥当である。

4.弁護士によるサービスの質とコスト
(1)弁護士の法的サービスの質の確保

鈴木(1995)28〜38頁では、弁護士法2条に規定する「基本的人権を擁護し、社会正義を実現する」ことを弁護士の使命とする規定を根拠として、正義の実現と競争とが両立しない旨主張する弁護士会の論理を紹介する。しかし、正義に関わると否とを問わず、すべての財・サービスと同様、供給者における競争の欠如は提供される財・サービスの質の劣化と価格の高止まりを発生させる。この単純な原理に対して弁護士業だけが例外として存在するということを基礎付ける論拠は存在しない。

 また、現在の法律事務所では、あらゆる
法的事件についていわばよろず屋として依頼を受けうることが弁護士法の建前となっている。しかし、実際上一人の弁護士がすべての法律分野のサービスを供給することは、能力面からも時間制約からも不可能である。現実に知的所有権紛争、行政事件訴訟等では実態の認識においても法理論においてもきわめて専門技術的な知識経験が必要とされる。このような事件に対応できる弁護士は多くない。現に行政事件訴訟の圧倒的多数は、行政側勝訴に終わっているが、このような状況にも拘らず1998年司法試験法改正により、選択科目にあった行政法は司法試験科目から除外されてしまった(20)。

 問題は第一に、弁護士個々人の日々の専門知見に関する切磋琢磨がなされにくいという点であり、第二に、一人の弁護士がすべての法律分野を網羅するという無理のある想定となっている点である。第一については、試験時における競争よりは日々の業務における消費者に対するサービスと価格の競争を自由化することにより対処し、第二については、後述するような弁護士の業務形態に関する規制を撤廃し、法人化、兼業等を認めることで各種専門分野に対応できるよう個々の弁護士毎の専門特化を図っていくことが必要である。

 なお、依頼者の利益保証手段として、証拠開示、鑑定人の確保等を整備することにより、弁護士過誤訴訟の提起を容易にすべきである。弁護士の過失・怠慢や無能力により不利益を受けた者が契約責任等を問いやすくするならば、保険も商品化され、弁護業務の質の向上が図られやすくなるだろう。

(2)広告制限の意味
 日弁連は会則により弁護士の業務の広告に関して厳しい規制を設けている。料金広告は一切禁止され、媒体もテレビは禁止である。また、大きさ、回数等について細かな制限が設けられている。これについては、1999年に改正された規制緩和推進3か年計画により「弁護士広告制限の緩和ないし撤廃につき、平成11年度中に、日本弁護士連合会に対し、必要な協力を行うとともに、所要の措置が早期に講じられるように要請する」とされ、広告制限の緩和に向けて政府の方向が明示された。

 現行の弁護士広告では、弁護士の専門や前歴、特に訴訟での勝訴・敗訴歴、報酬、サービス内容等依頼の前提として必要な情報が依頼者にとって一切不明である。このような広告制限は、情報の非対称性による弊害を著しく助長する。広告を通じてこれらの情報を法的サービス消費者が容易に入手することができれば、サービスの品質を事前に判断できるようになる。その結果、供給者側も品質の高いサービスを提供するインセンティブが強まる。市場規模も拡大する。

 アメリカでは、1977年連邦裁判所判決により法曹団体による弁護士広告の全面的禁止は連邦憲法の表現の自由に違反するとされ、いわゆるリーガル・クリニック(フランチャイズで定型的業務中心の法律事務所)の隆盛を見ることとなった(21)。あるリーガル・クリニックでは、年間500万ドル以上の広告費を費やし、毎月18,000人の新しい顧客を獲得したとされるが、広告の自由化が弁護士報酬を増大させるどころか、むしろリーガル・クリニック等の発達により、これまで弁護士のサービスを受けることができなかった低・中所得者層が弁護士を利用することが可能となり、社会各層への法的役務の提供に貢献したとされる(22)。広告制限は、このようなフランチャイズシステムの成立をも抑制する機能を果たすこととなる。フランチャイズシステムは、規模の利益による生産性向上によって均質で低価格なサービス供給を可能にする。さらに、同一名称でのチェーン展開というブランドの成立によって、消費者はどの事務所でも一定の均質で低価格なサービスを受けうるという期待をもつことが可能となり、情報の非対称性の弊害の解消にも寄与する。

 強制加入の職能団体である日弁連に対して、競争抑制による既得権擁護の意味しか付与することができない広告制限の権能を与えているように見える現行弁護士法そのものに不備がある。政府・立法府は、日弁連が広告制限を行うことを禁止する旨弁護士法の明文により定める法改正を行うべきである。

(3)法律論のウエイトを高めよ
 弁護士の業務は、大きく事前の法律相談、契約指導等の予防的側面と、損害や権利の帰属をめぐっての訴訟、調停、和解等の事後処理的側面に大別される。前者や、後者のうち判決に結実するものについては法律論のウエイトが高いが、後者のうち訴訟により解決されうる紛争の交渉による決着にも大きなウエイトがあるのが実情である。これは依頼者・弁護士の双方にとってあくまでも裁判により判決を得ることの費用対効果が必ずしも正とならない実態を反映している。大きな要因は、裁判の長期化とそれに伴う労力・金銭出費にある。判決前の交渉決着内容が判決の先取りであるならば何の問題もない。しかし、裁判のコストが発生することを互いに認識している場合に、事前に妥協することが有利になるためには、判決に持ち込めば本来有利になる当事者が、その期待利得の一部を差し出すことによって妥協が成立することが前提となっていなければならない。このような交渉を有利に運ぶ能力は法的能力には依存せず、むしろ交渉技術や営業的センスに負うところが大きい。現行司法制度の下ではやむを得ない点はあるものの、法治主義の形骸化につながりかねないこのような領域の肥大化はゆゆしき事態である。依頼者にとっても弁護士にとっても判決による紛争解決のコストが構造的に極小化されるよう、司法インフラストラクチャーの整備を行うことが法治国家としての根幹的な課題である。

(4)弁護士の所得保障は必要か
 日本では、司法試験合格者で裁判官又は検察官以外の者のほとんどが弁護士業務を行っている。これに対してアメリカでは、裁判官を除く政府雇用の法曹資格者は1980年に54,000人に達するなど法曹資格と弁護士業務の開業とは必ずしも連動していない(23)。ドイツでも法曹資格者のうち、弁護士業務を行っている者は約30%にとどまり、行政官が27%、企業内弁護士が12%となっている。しかも、弁護士登録をしていない法曹資格者を含めると全体の約30%が企業内弁護士であるという(24)。日本での法曹人口増大論に抵抗する潮流には、弁護士資格者すべてが弁護士業務を行い、かつそのすべてに一定の所得保障がなされるべきであるとの認識が存在するが、第一に、弁護士に必要とされる所得から逆算して法曹人口を考えることは法曹サービス需要者の利害と相反する。第二に、弁護士資格者が弁護士業務を通じてしかその専門知識を生かせないと考えるのは諸外国にみられるとおり妥当でない。官庁、企業等幅広い活躍の道が存在している(25)。第三に、人間の能力について、一回の試験によって狭義の弁護士業務に適正を持つことを保証することはできない。多様な選択肢の中から、その能力、適正に応じて職域を広げていくことこそ、専門的職能の本来の使命に合致するというべきである(26)。

(5)外国弁護士は規制すべきか
 既に述べたように、外国弁護士の参入規制が徐々に緩和されつつあるのは望ましい傾向であるが、現行法の下でも外国弁護士は日本弁護士や準法律専門職を雇用することはできない。法務省によれば、外国法事務弁護士は日本法に関する法律事務を取り扱ってはならないというのが原則であり、弁護士や準法律専門職の雇用を認めると、雇用主としての指揮監督権の行使によって実質的に日本法に関する法律事務の取扱いに介入することが十分予想されるためであるとする(27)。しかしその理由は破綻している。

 第一に、法律に係る専門職の雇用と日本法に関する法律事務の取扱いへの介入とは因果関係がない。法務省の見解によれば、外国法弁護士のみならず日本弁護士や日本の準法律専門職も、雇用関係に立ったとたん違法行為に手を染める程度の専門職種であるということになる。法の目的を前提としても、雇用禁止によってその目的を達成することは的外れであり、また効果もない。

 第二に、外国法弁護士の日本国内での活動の制約をなくすことは、多様化・国際化する紛争の実状に対処して、法的な処理を迅速化するうえで消費者の利益を増進させる。本来外国法弁護士に日本法も含めたあらゆる法律事務や訴訟代理権を広く認めることには実害がない。依頼者が、日本の司法試験に合格しておらず、外国法の専門家であるが、それでも依頼したいと納得している時に、それを公権力が禁止する必然性はないからである。また、外国法弁護士の活動に関して相互主義的対応が主張されることもあるが、そのような条件も必要でない。相手国が日本弁護士の活動を制約したり、受け入れていない場合であったとしても、日本が一方的に当該外国法弁護士の活動を国内で無条件に認めること自体が、確実に日本の法的サービスの消費者の利益を増進させ、社会的余剰を増加させるからである。

(6)報酬規定は競争制限
弁護士法は、弁護士会会則の記載事項として「弁護士の報酬に関する標準を示す規定」を規定する(33条2項8号、46条2項1号)。これを受けて日弁連は、報酬等基準規程を定めている。これによれば、着手金、報酬金、時間制等の報酬が具体的金額算定が可能なように定められ、「弁護士は、所属弁護士会の定める報酬規程を重視し、その最低額未満をもって事件等を取り扱う旨の表示又は宣伝をしてはならない」(同規程9条)とすることで実質的には強制力が付与されるがごとき体裁となっている。この報酬規程の機能は、価格競争を制限し、弁護士報酬を引き上げるものである(28)。アメリカでは、1975年いわゆるゴールドファーブ事件連邦最高裁判所判決により、弁護士会の報酬規程が反トラスト法に違反する旨明言され、弁護士報酬の競争が行われて業務効率化が進み、報酬が低下することで消費者利益が増大した(29)。

 日本の独占禁止法の解釈論の詳細は、三宅(1995)第4章に詳しいが、そのポイントは第一に、報酬規程を通じて一定水準未満の報酬で受任する行為に関して宣伝を禁じるのは独禁法8条1項違反であり、第二に、弁護士法の報酬規程を金額で定めることは否定されており、報酬規程を金額をもって定めていること自体が独禁法8条1項違反であるというものである。公正取引委員会が、独占禁止法違反を論拠として、金額を明示し、強制力をもって定めていた建築士や不動産鑑定士の報酬規程に介入し、現在ではこれらの報酬基準は任意の歩掛かり方式に改められていることは広く知られている。弁護士のみがこのような措置と無縁の競争制限的な保護の下に置かれているのは、専門的職業間の公平を損なうのみならず、法的サービス市場の著しい縮小と非効率化をもたらしている。弁護士会の報酬規程が違法な価格カルテルであるとする解釈は妥当であり全面的にこれを支持する。

 しかし、長年にわたってこのような既成事実が現実に積み重ねられてきたことを勘案すれば、司法改革の好機である現在、端的に弁護士法を改正し、報酬について強制力をもって弁護士会が指示したり、具体的な金額の基準を示すことを禁じる明文の規定を設けるべきである。

(7)弁護士の兼業・法人化規制
@複数事務所・法人化を解禁 
 弁護士の営業形態は、個人事務所であり(弁護士法20条1項)、一人の弁護士が複数の法律事務所を設置することは禁じられている(同条3項)。しかし、高度に発達し、複雑化した現代社会の法的問題を処理するのに個人事業形態を前提にしていること自体時代錯誤である。現行事業形態のために、専門的ノウハウの蓄積、依頼者の継続的取引関係、専門的事件への対応等が不十分となっている。法人による事業形態を認め、当該法人には弁護士のみならず、他の関連法律専門職種、例えば公認会計士、税理士、司法書士、不動産鑑定士、弁理士、行政書士、宅地建物取引主任者等の雇用やパートナーシップも認めることが適切である。このような統合により、異なる資格者がそれぞれの分野における活動を通じて蓄積した知識・ノウハウを共有することが可能となり、情報入手コストを削減できるため、範囲の経済が働き生産性が向上する。総合法律サービス法人を認めることにより弁護士自身も職域の拡大と発展を目指すべきである(30)。

 また、弁護士が供給する法的サービスの業務には、訴訟代理業務など専門性が必要な場合もあるが、文書作成、日常法律相談など定型的な業務のシェアも高い。

 定型的業務に関しては、ノウハウの蓄積を前提としたマニュアル、データベースの作成など、効率的生産システムを開発・導入することが可能である。これによって、労働の特化による人員配置が可能となるとともに、このような技術開発は分割不可能な生産要素としての性格をもつため規模の経済が働く。すなわち事業所の大規模化によって生産性が向上し、一定の質を確保した法的サービスを低価格で供給することが可能になる。事業所の大規模化は、例えば、1)多数の事業所を有する個人、2)大規模法人、3)フランチャイズシステム等によって達成される。ところが現行制度は、事務所・法人化規制によって1)及び 2)を、広告制限によって3)を禁止している。このため技術開発に基づく良質で低価格なサービスの供給が妨げられている。範囲の利益と規模の利益を追求し、消費者の要望に応えるためにも、法人化を解禁するとともに、個人・法人を問わず複数事務所を解禁すべきである。法人の支店であっても、個人事務所の複数設置であっても、複数の事務所を禁止する論拠は、競争の抑制という矮小な論拠以外には想定できない。

A兼業等制限は不要
 法務省が、兼職のために職務遂行に障害が発生し、また弁護士が営利事業に関わると品位と信用がなくなるという論拠でこれらを許容することができないとしていることは既に述べたとおりであるが理由がない。現在認められている兼業形態でもその職にある間弁護士の職務はできないのであるから(弁護士法30条2項)実害はない。しかも、一般職の公務員は常に兼職が不可能であって、国会議員や大臣であれば何故常に兼職が可能であるのか、立法意図は明らかでない。弁護士法30条2項を維持する限り、すべての公職との兼職を認めるよう弁護士法30条1項を改正すべきである。営利事業との関わりの制約については、現に多くの弁護士が各国で企業に雇用されているが、そのような制度によって弁護士の品位や信用が低下したという報告は見聞しない。日本に限って品位や信用が低下するのであれば、日本の弁護士に限っては、他国と異なりよほど資質に問題があるということになるであろう。むしろ弁護士が企業の法務担当職員や役員に就任して、法的正義の実現を企業内から実践するならば、法治主義の内在化、実質化が一層進展することになると思われる。

8)弁護士の業務独占は撤廃
 イギリスでは、1990年裁判所及びリーガルサービス法により、裁判所の弁論権をバリスタやソリシタに限定せずに付与した。さらに元々イギリスでは、業として他人に法律上の助言を与えることは誰でも行うことができた(31)。ドイツの弁護士も、職域が争訟事務を中心とする狭い範囲に限定される一方、税理士や会計士は職域を拡大し、契約書や遺言書の作成までも含めた助言を行うようになっている(32)。日本のような弁護士による法律相談も含めた法律事務すべての業務独占は、弁護士という業務の必然では決してない。

 また、現在は企業が当事者となる訴訟について、例えば当該企業の法務担当職員が企業の代理人となって訴訟を遂行することすら禁じられている。必ず弁護士に依頼しなければならないのである。国や地方自治体では、職員が指定代理人として訴訟代理人となることが認められている(国の利害に関係のある訴訟についての法務大臣の権限等に関する法律5条1項、地方自治法153条1項)。個人の本人訴訟や行政庁内代理人が許容されている一方で、企業のいわば本人訴訟ともいうべき自社内代理人が認められていないのは官民の均衡を失するのみならず、企業法務部の実態、能力等に照らしても不合理である。

 さらに、弁護士の訴訟代理権の独占は、地方裁判所、高等裁判所、最高裁判所の訴訟事件に限定し、簡易裁判所における訴訟代理権や非訟事件、家事審判事件、家事調停事件等については、司法書士等の関連法律専門職種にも代理権を開放すべきである。

 法廷外法律事務については訴訟の進行の効率性の確保という公的介入の理由が一切存在しないのであるから、弁護士の名称独占(弁護士法74条)のみを残す、すなわち弁護士でない者も業務を行えるが、弁護士という名称を用いてはならないこととし、弁護士法72条の業務独占はすべて廃止すべきである。このような提案に対しては、法的な素養の乏しい者が法的サービスを有償で提供すると弊害があるという指摘があり得るが、名称独占さえ認めておけば、質が悪いかもしれないが安価にサービスを提供する者に対して十分納得したうえで自己責任の下に依頼することを禁止すべき根拠は存在しない。仮に有資格者でなくても、誤った情報提供については民事上の債務不履行責任の追及が可能である。

 仮に情報の非対称性に対処するための措置として、名称独占のみでは足りず、業務独占を正当化するとしたら、次のような前提が必要であろう。すなわち、法的サービスの消費者が、弁護士という資格には一切意味がないと判断し、弁護士資格を持たず、かつ、低価格であるが劣悪なサービスしか供給しない者に業務を依頼し、繰り返し不利益を被ってもそれを学習することなく、しかもそのような情報が他に一切伝播しないという前提である。いいかえれば、自らの利益を自らの判断で守っていくことができない消費者しか存在していないという事実の証明が必要なのである。弁護士の業務独占に関する消費者のためと称する論拠は実質的根拠のないパターナリズムであって、弁護士の既得権擁護に資するのみである。

 一方、公認会計士、税理士、司法書士、弁理士、行政書士、社会保険労務士、宅地建物取引主任等の関連法律専門職種についても、少なくとも法律相談をはじめとする法廷外法律事務で当該資格に関わりがある分野の業務を法の明文で許容すべきである。

5.裁判所と裁判官の問題点
(1)裁判官キャリア制の弊害

 日本の裁判官は、通常司法修習を終えて任官した後、生涯を裁判官として過ごす。キャリア制の下では、最高裁判所、裁判所、事務総局を頂点とする司法官僚制が貫徹し、先例を重視し、最高裁判所事務総局の意向を過敏にくみ取る一方、自らの意見表明を極力差し控える裁判官が増えると言われる(33)。司法試験合格に現在のところ相当程度の年数を要することを勘案すれば、裁判官任官者が比較的若年層で占められることを割り引いても、多くの裁判官は青年期以降の大半を司法試験受験勉強と裁判実務のみに費やす。

 アメリカの裁判官の任官時平均年齢はおおむね40代以降であり、かつ前職は弁護士、検察官、行政官、大学教授、新聞記者等極めて多様な構成となっている(34)。アメリカの裁判官像が、豊かな人生経験、職業経験を踏まえたものとして規範が形成されているのに対して、日本のキャリア裁判官像はあまりにも狭い世界にとどまっている。しかも、アメリカの一定の州の裁判官は、法曹資格、すなわち司法試験合格や法学教育すら要件ではなく、同一裁判所の裁判官の間では給与が同一であり、年功序列の昇給システムも存在していない(35)。

 日本のような終身雇用のキャリア裁判官制では、採用時に能力や適性を厳格に審査することが必要とされる。しかし、法解釈学偏差値秀才度合いが裁判官としての優秀さを生涯にわたって保証するものではない。キャリア制の下では採用に冒険ができないから、外部からの思いきった人材登用もなされにくい。しかも日本国憲法では、下級裁判所の裁判官の任期は10年とされ、再任されることができるにすぎない(80条1項)。事実上ほとんどの裁判官が自動的に再任され、定年を迎えるという現在の運用そのものが憲法の趣旨に適合的ではないのである(36)。憲法で定める任期10年制を原則とし、特別の事情がある場合に限り再任するという運用を徹底させるとともに、司法修習を終えたばかりで試験勉強以外の適性が全く不明の者よりも、アメリカ同様、一定の職業経験を経た者の中から、幅広い分野の人材を、司法試験合格や法学教育の有無に拘らず裁判官に任命すべきである(37)。

 併せて日本国憲法によれば、下級裁判所の裁判官は「最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣でこれを任命する」(80条1項)こととされているのであるから、裁判官の任命に係る審査は、新任・再任ともに実質的に内閣で行うべきである。現在は、実際上最高裁判所事務総局の決定が内閣で追認されるだけであるが、憲法は司法権の内部における独立完結的な人事をそもそも想定していない。実質的な意味で憲法を順守するシステムに改めなければならない。

 いわゆる法曹一元については現行キャリア制より望ましいものであるが、狭義の法曹資格者だけの間で裁判官を輩出せしめるべき理由はない。裁判官は、独自の資格要件の下に多様な人材から任命すべきである。現実に最高裁判所判事は法曹資格のない者が多く着任している。また、キャリア制を廃止するならば、思い切った人事を行うことができ、裁判官の大幅増員を無理なく実現することができる。

 なお、裁判の民主的統制のために陪審・参審制を導入すべきであるとの議論が盛んである。しかし、裁判の民主的統制という観点からのより重要な課題は、訴訟指揮の適切さに対する一定の客観的基準による評価や、事実認定や法理論の適用における、判決から読みとれる専門的知見の評価を実践していくことである。裁判手続の中にただ素人が参加することによって自動的に裁判が民主化されると考えるのはナイーブな見解である。むしろ陪審・参審制の議論によって、法曹人口の増大や弁護士の各種規制緩和、裁判官キャリア制の問題点等、はるかに重要な問題点が目立たなくなってしまうことを憂える。素人受けはするが、二次的な問題にすぎない陪審・参審制への論点の誘導は「改革の焦点をずらそうとする陰謀(38)」であるという懸念をぬぐい去れない。

(2)裁判官による政策形成を限定せよ
 判例や学説が分かれている法的論点に関しては、裁判官による判決は実質的に政策形成機能を担う。むろん法解釈は司法の専権事項であるから、解釈の確定によって結果的に政策が司法権によって画されることそれ自体には何の問題もない。しかし、借地借家法の正当事由制度(39)や行政事件訴訟の訴訟要件をはじめとして、あまりに要件が広くかつ不明確な立法に起因して、白紙委任に近い形で発揮される裁判官の裁量には問題が多い。裁判官毎の価値判断で同様の紛争の結末が大きく異なることは不公平であるのみならず、事前予測可能性を損ない取引の資源配分を大きく害する。しかも、裁判官は法解釈の専門家ではあっても、政策に関する規範創造の専門家ではない。

 本来法の不明確性は、あらかじめ争点として認識されていたのであれば立法府においてその解決策を明文で記述しておいたはずであり、いわば決め忘れたことについて事後的に発生した争点が司法の解決に委ねられることとなるにすぎない。あまりに広い解釈が可能な法については、裁判官の裁量発揮に当たって禁欲的な姿勢が求められる。

 しかし、一回目の紛争は仕方ないとしても、ある時点で法の解釈に多義性があり、法的紛争を誘発しうることが判明した時点で、二回目以降の紛争が生じないよう具体的な立法的解決により解釈の余地を封じていかなければならない。司法や法解釈学の役割は、そのような作業により解釈学的争点が極少化するまでの暫定的で限定的な役割にすぎないということを関係者は自覚すべきである(40)。

(3)専門性を高めよ
 裁判官の受けた教育、実務経験のほとんどが民事事件、刑事事件の定型的なものであるため、行政事件、知的所有権紛争などへの対応は困難なことが多い。専門性の欠如は、前述した弁護士だけの問題ではない。特に行政事件では、被告側代理人は裁判官・検察官出身の俊秀の法務省訟務局検事と行政庁の最前線で法律職キャリア官僚として実務経験を積んだ担当者とが協力し、総力を挙げて証拠収集、鑑定書作成、準備書面執筆等を行う。法律論に関しては、被告行政庁側の主張がほとんどそのまま判決文に結実することが多い(41)。現行憲法の下では行政裁判所等の特別裁判所を設置することはできないので、せめてブロック単位で専門部としての行政部、知的所有権部等を設けてそこには専門的トレーニングを受けた裁判官のみを配置すべきである。併せて、専門的知見を養成するためには、裁判官の評価について、事務総局による密室人事という不透明な方法ではなく、訴訟指揮、判決等の各プロセスについて公正で客観的な基準を作成し、その実践を第三者が行うシステムを確立すべきである。

(4)人員を増員
 裁判官は大幅に増員すべきである(42)。キャリア制の放棄を前提とするならば、直ちにでも外部から多くの裁判官を導入することが可能となる。裁判官が一人当たり常時数百件もの事件を抱えているような状況で質の高い迅速な司法を実現していくことは絶望的である。併せて、やはり極めて多忙といわれる最高裁判所についても、定員は憲法でなく法律事項なのであるから(日本国憲法79条1項)、事件数に応じてフレキシブルに増員を図るべきである。

(5)執拗な和解勧告を禁じよ
 日本の裁判の弁論は、一・二ヶ月に1回程度の遅々としたペースで長期に渡って手続が進行する。長期化するのみならず、弁論は形がい化している(43)。裁判官は、執務能率を上げるために判決を書かずに事件処理を行う、すなわち和解に持ち込んで終局処理を図ることに熱心になるといわれる(44)。しかし、判決を回避するための手段として和解勧告が常態化しているのは問題である。和解内容が来たるべき判決内容の先取りであるならば問題はない。手続の効率化は望ましい。しかし、その判決内容によるならば不利となる当事者は通常それでは納得せず、有利となる当事者は時間のコストを勘案するため、結果的に足して二で割る妥協の産物としての和解が増大することになる。このような和解事例の蔓延は法治主義の崩壊につながる。

 特に行政事件訴訟では、典型例である取消訴訟に関する限り、行政処分が違法であれば取り消すし、そうでなければ棄却しなければならず、適法な訴えについては二者択一の判決しか行政事件訴訟法上許されていない。したがって、取消訴訟には訴訟上の和解が存在しないが、第三者である起業者が介在する土地収用事件などでは、実態上被告側と一体となって訴訟に参画している起業者を念頭において、裁判官が原告と起業者の訴外での和解を執拗に勧め、それに伴い取り消し訴訟を取り下げさせるよう強力に「指導」することがみられる(45)。第一に、このような行為は脱法行為であり、違法か適法かいずれかしか存在しないはずの法的判断について事実上和解で決着をつけさせることは法を潜脱し許されない。第二に、取消訴訟の取り下げを伴う訴外での起業者と原告との和解とは、帰するところ金銭を原告に支払って妥協させるということである。このような裁判所の取扱いが伝播することによって、およそ金銭要求を意図した取消訴訟を誘発することになってしまう。このような訴訟の頻発は、ただでさえ希少な司法資源をさらなる無駄遣いによって疲弊させることなる。第三に、土地収用事件の起業者とは、すべて国、地方自治体、特殊法人、公益企業等の公的主体であって、このような和解の財源はすべて一般納税者や一般市民の利用料金でまかなわれる。違法か適法かという本来の職責に従った判断をしない裁判官に、一般市民から原告への所得移転を強制する権限はない。

 少なくとも行政事件については、法の明文により裁判官による訴外での訴訟取下げに係る和解の勧告を禁止すべきであるし、土地収用事件における起業者のような行政事件に関わる第三者が和解に応じて金銭を出費することは行為規範としても禁止しなければならない。

6.法務省・法制審議会
 日本の司法サービス需要の大半は民事法と刑事法、なかんずく民事法で占められている。民事法については、従来法制審議会の議を経て法務省が原案を作成し、内閣提出法案として法改正を行うというルートが実態上唯一のものであった。法制審議会の審議期間は長く、社会経済情勢の急速な変化に対応できていない(46)。のみならず、法制審議会は、議事録すら一切公開しない(47)。法制審議会に法の専門家と称して参画している人々は通常、研究者、実務家を問わず法解釈学のトレーニングのみを受け、法の読み方を探求してきた人々である。繰り返し述べるとおり、法解釈と法政策には何の関わりもない。前者の知見が後者の知見を保証することは一切ないし、むしろ定期借家権論議を通じて明らかとなった法解釈学専門家の立法政策に関する貧弱な知見を前提とすると、法解釈の専門家であることは法政策にとってかえって有害ではないかとすら思われる(48)。法解釈と立法が違うのは「車の運転と製造が違うのと同じで、自動車の運転教習員にニューモデルカーの設計・製造を頼む人はいない」(49)のである。

 司法の大きなシェアを占める民事法について、事実上立法権を独占する行政庁である法務省が解釈の多義性や不明確性を立法により迅速に解決していくことに不熱心であった一方、同じ内閣に司法制度改革審議会が設置され、司法の機能不全対策に乗り出したというのも内閣の内部における矛盾である。立法改革により法的紛争の源を断つことこそを、司法改革の根幹にすえなければならない。立法の不備を正したうえでなお存続する法的紛争について迅速かつ安価な司法的処理を図ることこそ司法改革の本質的課題である。

 法務官僚や法解釈学専門家集団は、自らの存在意義の沿源である法解釈による法的紛争解決への貢献という機能を大事に守っていきたいが故に立法による法解釈の不明確性や裁量の排除に不熱心なのではないかという疑念をぬぐい去れない。民事法は、これを徹底的に検証し、判例・学説の分かれるすべての論点について立法的解決を図っていくならば、法的紛争は激減し、契約や不法行為全般に係る交渉費用は極少化される。社会的規範としての法の市場内部における完結は、法治主義を実質化し、人権や正義をも一層擁護する役割を果たす。今後の特に民事法に係る立法政策の基本は、市民や企業の利害を直接反映する立法府による直接作業、すなわち議員立法を原則とし、法制審議会は廃止すべきである。

7.民事執行の破綻
 民事執行、特に不動産競売制度は機能不全を起こしている。担保制度が機能し、債権が安全、確実、迅速に回収されることは、法による権利が画餅でなく実質的なものとして信頼され、市民や企業が安全に取引を行っていくためのコースの定理に基づく基礎的な条件である。執行が確保されなければ法的権利や判決には何の意味もない。日本では、一般に競売物件はリスクを伴うものとして認識され、実際、占有屋や暴力団の暗躍により執行妨害に基づく不当な利益要求が広く行われている。競売物件は、民間の物件と異なり内部の閲覧もできず、裁判所の調査結果が事実と異なることも多い。しかも物件に住む占有者との明け渡し交渉は、最悪の場合訴訟を提起して買受人自身のリスクで対処しなければならない。日本では司法が仲介する不動産が最も危険な物件となっているのである。元凶は民法395条による短期賃貸借保護制度であり、建物について3年以内の契約期間ならば、抵当権より後に設定された借家権でも抵当権実行後も無条件に借家権の存続を主張できることとされているこの制度が多くの執行妨害に合法の装いを与えている。物件価格は大きく低下し、債権者と買受人が害され、反社会的集団への膨大な所得移転がなされている。民法改正により短期賃貸借保護制度を廃止するとともに、物件内覧権の確保、引渡命令の対物処分化、調査権の強化等を内容とする民事執行法の改正を早急に実現し、執行の場面における法治主義の貫徹を図るべきである(50)。
 併せて、民事執行業務の民間委託、司法書士等への民事執行手続きの代理権の開放等を速やかに実施すべきである。

8.いわゆるロースクール構想はアメリカ型で
 1999年9月20日付け日本経済新聞夕刊によれば、東京大学では法学部三・四年生と大学院二年間のロースクールとを併せて法曹養成コースを設けることを検討する旨公表した。一部大学では同様の構想を既に発表したり、検討中である。その多くは10ないし20の大学院にロースクールを設け、2,000人から3,000人のロースクール修了者については司法試験を免除ないし、合格の容易化を図ろうとする試みである。しかし、このようないわば日本型ロースクール構想には問題がある。学部段階での法解釈学の詰め込み教育に加えて、さらに2年間屋上屋を重ねる法解釈学教育を施すことは、ただでさえ視野が狭く経験に乏しい法曹の人格形成に望ましくない影響を与えるのみならず、実務との関連性の乏しい法解釈学「最先端」領域のディーテイルの総量が増大するだけの結果に終わる恐れがある。

 法解釈学は、経験と勘に頼る零細な職人が使用する道具に似ている。法解釈専門家はその職人に似ている。法解釈では、再現可能性が乏しく、誰も検証のできない「リーガルマインド(法的思考力)」なるものが重視され、そこには体系的な方法論すら存在していない。立法の課題は、素人の誰が読んでも正確で公正な結論に至ることができるよう法を客観化・明確化することであり、法解釈の課題は、特殊な道具がなく、かつ個人的名人芸を駆使しなくても正確な処理ができるよう、製造工程に相当する法解釈プロセスそのものをいわば工業化してすっきりさせていくことである。日本の法学教育が学部段階の法学士を大量に社会に輩出してきた歴史は日本社会のさまざまな制度的病理現象と無関係ではないと思われる。今後は、法解釈学のみを学んだ人間を社会に送り出すことを再検討すべきである(51)。法解釈学は、原理の考察と実証の視点を欠き、既存法体系や判例との整合性を図ることに終始するため、前例踏襲に陥りやすく、また、当事者間の利益衡量と称して瑣末な利害調整を重視する傾向が強いため、現状追随的で創造力に欠ける。それをリーガルマインドと呼ぶのであれば身に付けない方がましというべきである。

 アメリカ型ロースクールは、司法試験の受験資格を多くの州ではロースクール卒業者に限定する代わりに、大多数の卒業者が司法試験に合格する。そもそも学部段階での法学教育は存在しない。経済学、政治学、工学、理学等様々なバックグラウンドを持つ法曹の存在は、健全で科学的な法的判断に寄与するはずである。日本が目指す法学教育もアメリカを参考とすべきである。

 学部段階の法学教育は廃止し、組織・教員は原則として当事者が望む限りロースクールとして大学院レベルに移行させる。ただし、ロースクールの存続は客観的基準を満たす限り市場の評価に委ね、数量的設置規制や、国による救済は一切行わない。ロースクール間の市場競争、すなわち、司法試験合格者数、授ける教育の実務界への寄与、学生からの授業評価等に関する徹底的な競争を行わせない前提で教育の質を担保できるはずがない。ロースクール構想として著名法学部等から提案された内容の多くは、特権的教育機関、その教授陣の競争にさらされない利権の確立には大いに寄与しても、消費者の視点は極めて希薄である。

 ロースクールの入学資格は、一定の移行期間を経て既存法学部以外の出身者に限定する。現在、未熟な若者に法解釈学といういわば社会の辺境にある病理現象の処理だけを教授し、社会に輩出しているシステムこそ問題視されるべきである。特に裁判官をはじめとする法曹では、受験期間の長期化が偏りを増幅させている。国民経済的にみて、学士レベルの法学専門教育についての徹底的な費用対効果の検証が必要である。法学部の運営は各大学に委ねればよいが、ロースクールでは中期的に「法学士」の入学は禁止すべきであろう。法曹の人間的、学問的資質の形成にとって他学問を学ばない者は不適格というべきであるからである。

 ロースクールのカリキュラムは、重箱の角をつつく法解釈学的争点のみならず、事実認定、問題の解決能力、企業法務、ミクロ経済学、法と経済学、公共政策の立案能力等にも重点をおく(52)。司法試験の合格水準が適切なら、それに併せてロースクールが大量の合格者を輩出するだろう。司法試験の科目はロースクールのカリキュラムの多様性に合わせて大幅に増大させる。現行の司法修習は廃止する。ロースクールの卒業生は、修士号の取得というブランドによって業務上自らを差別化することでメリットが得られるのであるから、司法試験の受験資格をロースクール修了者に限定したり、受験に際しての優遇措置を講じたりすることは、多様な選択と挑戦の機会を確保するという観点からみて望ましくないというべきである。

 このような意味で、ロースクール構想が法的サービス消費者の高度な研鑽に対する需要の高まりによって実現していくならば望ましいが、これが新たな参入規制として機能することがないよう注意しなければならない。

 ロースクールを自由に設置させると、レベルの低い者が増えるのではないかとの懸念がある(53)。しかし、既に論じたように法曹としての質の担保は、実務を通じて市場の評価に委ねる方が妥当である。さらに、ロースクールでは、合格するための技術を磨くというよりは、合格してから実務で評価される人材を実質的に養成することを目標として、ロースクール間の教育内容競争が行われるであろう(54)。このような競争こそ健全な競争というべきである。

 ところが、日本型ロースクールは一種の需給調整構想として議論されつつあり、このような流れには重大な懸念を表明する。ロースクールの数量制限はいわば政府による生産割当制であり、実務法曹の養成に限って生産割当制の方がよい製品を生むという理屈が存在するとは考えられない(55)。ロースクールについては、大幅な司法試験合格者の増大という環境の下で、市場のニーズにあった教育サービスを提供することで、競い合い自己革新を遂げることによってこそ、質の高い法曹教育を提供するシステムが整うというべきである。現在、日本全体で法学部は約100存在するが、一定の客観的設置基準を満たす限りこれらの組織の改変や新設は無条件に認めるべきである。需給調整的観点からの数量的規制は一切行うべきではない。客観的基準を満たす限り、50でも100でもロースクールの設置を認める必要がある。

9.おわりに
 司法改革は待ったなしの課題である。しかし、司法の役割を極度に美化したり、神聖視することは妥当ではない。司法は、紛争解決のための道具立てであり、それ以上でも以下でもないという冷静な認識に対応した必要にして十分の改革を迅速に進めるべきである。何よりも司法改革は立法改革である。司法改革の結果法的紛争の存在そのものに既得権を持つ者が焼け太りしたり、法律家ギルドの病理が増幅したりすることが決して起こらないよう配慮が必要である。


【参考文献】


・浅香吉幹(1999)『現代アメリカの司法』東京大学出版会
・阿部泰隆(1999a)(b)(c)「司法改革への提言(上)(中)(下)」自治研究75巻7,8,9号
・阿部泰隆(1999d)「司法試験行政法廃止は法治国家の危機」ジュリスト1128号
・阿部泰隆・上原由起夫(1999)「短期賃貸借保護廃止の提案」NBL667号
・安藤俊裕(1999)「ロースクール構想の衝撃」1999.7.26付日本経済新聞朝刊風見鶏
・安念潤司(1999)「ロースクールは柔構造で」1999.12.27付日本経済新聞朝刊時論
・飯室勝彦(1998)「市民的司法への途」自由と正義49巻7号
・池田辰夫(1997)「これからの司法の民事裁判」判例タイムズ931号
・片岡弘(1991)「欧米の法曹資格付与制度の変遷と法的役務の供給」ジュリスト984号
・久保利英明(1997)『法化社会へ日本が変わる』東洋経済新報社
・久米良昭(1997)「定期借家権阻む法務官僚」1997.1.18付日本経済新聞朝刊経済教室
・久米良昭(1998)「定期借家権に関する市民意識と立法過程」阿部泰隆・野村好弘・福井秀夫編『定期借家権』信山社
・久米良昭・福井秀夫(1999)「短期賃貸借保護の法と経済分析」NBL670号
・Coase, R. H.(1960), The Problem of Social Cost, The Journal of Law and Economics, vol.3
・司法制度改革懇談会・代表世話人反町勝夫(1999)「内閣官房「司法制度改革審議会」に対する要望書」法律文化11巻2号
・司法改革推進センター編(1998)『裁判官がたりない日本』本の時遊社
・鈴木良男(1995)『日本の司法ここが問題』東洋経済新報社
・須網隆夫(1998)「大陸法諸国における「法曹一元」的対応」自由と正義49巻7号
・総務庁(1997,1999)「規制緩和に関する意見・要望書のうち現行の制度・運用を維持するものの理由等について」
・田中成明(1996)「岐路に立つ弁護士」自由と正義47巻12号
・短期賃貸借研究会(1999)「担保不動産流動化のために−短期賃貸借保護制度の抜本的改正を−」資産評価政策学会・都市住宅学会・日本不動産学会(税務経理8079号14頁以降に所収)
・中条潮(1996)「規制緩和が法曹界の発展をもたらす」自由と正義47巻4号
・八田達夫・福井秀夫・山崎福寿・久米良昭(1997)「「定期借家権」の実現を阻む法務官僚の越権」エコノミスト75巻33号
・福井秀夫(1995)「借地借家の法と経済分析」八田達夫・八代尚宏編『東京問題の経済学』東京大学出版会
・福井秀夫(1997a)「廃すべきは行政・司法の裁量」論争東洋経済6号
・福井秀夫(1997b)「定期借家権、議員立法で」1997.12.2付日本経済新聞朝刊経済教室
・福井秀夫(1998a)「法解釈学から政策法学へ」自治実務セミナー37巻4号
・福井秀夫(1998b)「市場重視の立法改革を」1998.8.1付日本経済新聞朝刊経済教室
・福井秀夫(1998c)「定期借家権の法と経済分析」阿部泰隆・野村好弘・福井秀夫編『定期借家権』信山社。
・福井秀夫・久米良昭(1999a)「担保占有者排除へ立法を」1999.4.2付日本経済新聞朝刊経済教室
・福井秀夫・久米良昭(1999b,c)「競売市場における司法の失敗(上)(下)」NBL671,672号
・丸田隆(1998a)「アメリカにおける裁判官選任の実状」自由と正義49巻7号
・丸田隆(1998b)「21世紀の裁判官像」判例時報1629号
・三ヶ月章(1989)『民事訴訟法研究第十巻』有斐閣
・三宅伸吾(1995)『弁護士カルテル−ギルド化する「在野」法曹の実像』信山社
・矢口洪一ほか(1998)シンポジウム「21世紀に向かう日本の司法システム改革」ポリシーフォーラム21第1号
・柳田幸男(1998a,b)「日本の新しい法曹養成システム(上)(下)」ジュリスト1127,1128 号
・柳田幸男(1999)「ロースクール方式の構想について」ジュリスト1160号
・山口宏・副島隆彦(1997)『裁判の秘密』洋泉社
・若林誠一(1998)「司法界変革への歩みを」自由と正義49巻1号


(1)主査・阿部泰隆、委員・安念潤司、上原由起夫、北村喜宣、玉井克哉、福井秀夫により構成。両提言はポリシーフォーラム21第2号(1999)に所収。
(2)本稿執筆に当たって阿部泰隆、上田洋平、岸敬也、久米良昭、鈴木良男、野口貴公美、早川嘉樹、八代尚宏の各氏からいただいた有益なコメントに感謝申し上げる。
(3)久保利(1997)2〜38頁参照。
(4)阿部(1999a)5頁。
(5)鈴木(1995)103〜106頁。
(6)Coase(1960)。
(7)久米・福井(1999)60〜70頁。
(8)福井(1998a)(b)参照。
(9)鈴木(1995)第5章、三宅(1995)第6章参照。
(10)総務庁(1997)(1999)に示されたもの。
(11)阿部(1999a)24頁、鈴木(1995)248〜256頁、三ヶ月(1989)127頁、矢口ほか(1998)シンポジウム74〜75頁における玉井克哉発言参照。
(12)鈴木(1995)第1章参照。
(13)中条(1996)57頁参照。
(14)弁護士法29条によれば、依頼不承諾の場合の通知が義務付けられており、事件の承諾には弁護士の裁量があることが前提とされている。
(15)中条(1996)55頁。
(16)丸田(1998a)30頁。
(17)須網(1998)36〜40頁。スペイン、オランダについても同じ。
(18)阿部(1999b)7〜9頁。
(19)行政改革推進本部規制緩和委員会「規制緩和に関する論点公開」(1998)添付資料〈参考4〉。
(20)司法試験制度を残す以上、各分野の基本的知識のみを問う多科目型の試験としたうえでその内容を平易化し、一定の水準を確保することが妥当である。そのような意味で1998年改正による多くの選択科目の廃止は法曹養成の基本的方向に逆行している。阿部(1999d)参照。
(21)片岡(1991)157〜158頁。
(22)片岡(1991)157頁。
(23)片岡(1991)143〜144頁。
(24)片岡(1991)144〜145頁。
(25)若林(1998)50頁。
(26)田中(1996)86〜91頁参照。
(27)総務庁(1997)(1999)。
(28)三宅(1995)22頁。
(29)片岡(1991)157頁、三宅(1995)52〜76頁。
(30)アメリカの弁護士業務の拡大、専門分化の状況については浅香(1999)153〜171頁に詳しい。
(31)片岡(1991)141頁及び159頁。
(32)片岡(1991)159頁。
(33)丸田(1998b)、阿部(1999a)10〜12頁、飯室(1998)52〜53頁等。
(34)丸田(1998a)30〜33頁。
(35)丸田(1998a)27〜29頁。
(36)阿部(1999a)11頁。
(37)池田(1997)64〜65頁参照。
(38)阿部(1999a)21頁。
(39)福井(1995)、福井(1998c)参照。
(40)福井(1998a)(b)参照。
(41)山口・副島(1997)189〜196頁参照。同書は裁判所、弁護士や裁判など日本の司法システムの病理を具体的にかつ鋭く描き出している。
(42)司法改革推進センター編(1998)に裁判官不足の実状が詳しい。
(43)山口・副島(1997)17〜44頁。
(44)鈴木(1995)87〜91頁参照。
(45)矢口ほか(1998)シンポジウム85〜87頁。
(46)経済同友会「グローバル化に対応する企業法制の整備を目指して」、経済団体連合会「司法制度改革についての意見」参照。
(47)久米(1997)、福井(1997a)(b)参照。
(48)八田・福井・山崎・久米(1997)、久米(1998)に定期借家権をめぐる法務省民事局の政治的言動が詳述されている。
(49)福井・久米(1999a)。
(50)福井・久米(1999a)、阿部・上原(1999)、久米・福井(1999)、福井・久米(1999b)(c)、短期賃貸借研究会(1999)等で民事執行、特に不動産競売の機能不全とその立法的対処について詳細に論じた。
(51)柳田(1998a)(b)、柳田(1999)の基本的認識と同様である。
(52)司法制度改革懇談会(1999)参照。
(53)阿部(1999c)33〜35頁。
(54)安藤(1999)は、ロースクール修了者が公務員、企業、政党、NPO、ジャーナリストなど幅広い職種で活躍することを想定するが、これは法治主義の実質化の観点からも望ましい姿である。
(55)安念(1999)に賛同する。