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サンケイ新聞 2001.9.30

住民訴訟改悪案は廃案に

阿部 泰隆
神戸大学大学院教授

 住民訴訟は、地方公共団体の財政上の違法行為を住民だれもが地方公共団体に代わって裁判所で追及できる制度である。会社の取締役の違法行為を追及する株主代表訴訟の自治体版といえる。過大な官官接待、入札談合、破たん第三セクターへの無駄な支援、土地の不当な高額購入と不当な廉価売却などを明らかにし、情報公開制度とともに地方行政の適正・透明化に大いに寄与している。

 ところが、首長(知事、市町村長)などの公務員側からすれば、賠償請求訴訟の被告にされると、応訴の準備などで大変になる。議会の議決を経て役所の総意で決めたことでも、個人として弁護士を雇い、勝訴すれば弁護士費用を自治体から償還してもらえるが、敗訴すれば弁護士費用と賠償責任を負担しなければならない不満がある。


被告を個人からポストに

 そこで、これまで個人としての首長や職員を訴えることとなっていたのを二段階にする改正案が国会に提出されている。第一段階では、機関すなわち首長というポストを被告として訴訟を行う。首長が敗訴した場合は、代表監査委員が個人としての首長の責任を、当該機関としての首長が個人としての職員の責任を追及する−というものだ。

 これで、個人としての首長や職員は前記の重荷から解放される。二度訴訟を行うのは、最初の訴訟では個人としての首長や職員を被告としていないので、改めてこれらの者を被告として判決を取らないと、最初の訴訟の判決も執行できないからである。ただ、第一段階の訴訟で、個人としての首長や職員に訴訟が提起されたことを通知(訴訟告知)することにより、敗訴したときには一切反論を許さない。そこで、第二段階の訴訟は簡単に済むはずだという。

 しかし、これは実際的にも法理論的にも乱暴な話である。まず、この訴訟では自治体と、被告となる首長や職員との利害は対立する建前であるから、これまでは前者が後者を表だって応援するわけにはいかなかった。ところが、この改正案では個人ミスが問題になっている事案でも、首長は被害者である住民の納めた公金と公的組織である職員を堂々と使って、和解に応じず、最高裁まで徹底抗戦することができる。住民は手弁当で社会のために争っているので疲れ果て、訴訟を断念する可能性が高まる。首長側の粘り勝ちによる違法行為隠しが起きるのである。

 重役に厳しすぎるという意見がある株主代表訴訟でも、こんな改正が提案されることはない。これは改正案の異常さを示している。

 立案者によれば、自治体が被告になれば、自治体所蔵の資料が法廷に提出される利点があるとされるが、自治体側に不利な資料を積極的に出すはずはないのである。


住民勝訴の空手形化も

 住民が勝訴確定したにもかかわらず、代表監査委員が二度目の訴訟を提起しないとき、住民がこれを争う効果的な方法はないので、勝訴判決は空手形になりかねない。 さらに、次のような例が考えられる。実質的に責任を問われている前首長が違法・過失はなかった、と主張しているのに、形式上被告となっている現首長が違法・過失の存在を認めたため、住民が勝訴することがありうる。ところが、二度目の訴訟では、前首長は前の訴訟では十分主張させられなかった適法・無過失を主張することができる。住民はもはやこの訴訟に関与できないので、自治体側と前首長の間で話し合いで解決しまうおそれも生じ、住民訴訟が実際上機能まひに陥る。

 この改正では、入札談合などでも、自治体が被った損害を業者に直接賠償請求することはできない。当事者抜きで、住民と機関としての首長との間で、談合の有無を争うことになるから、真実を解明するのは至難である。

 なお、この改正で、首長や職員個人は守られるかと思うと、実は自治体の政権が交代するとその期待は裏切られる可能性があるので、結局は自費でこの裁判に参加するしかない。これでは彼らにとっても、期待はずれだろう。

 このように、改正案は、個人ミス事案や入札談合などの抑止的機能を果たし、自治体の財政再建にも貢献していた住民訴訟を理論的にも実際的にも死に追いやる。行政の正常化が求められる今、こうした法改正を許してはならない。


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