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2001年11月2日(金)
読売新聞朝刊 論点

分権損なう地方自治法改正案

福井秀夫
法政大学社会学部教授

 地方分権の本旨は、権限・財源を地方へ委譲して、きめ細かい住民サービスと地域の自律的発展を促すことにあり、首長等自治体の幹部は以前に増して倫理的・法的責任が求められる。逆に、責任を軽くするのでは、強大化する権力の歯止めがなくなり、腐敗と住民無視が助長されかねない。

 地方自治法に基づく住民訴訟は、談合や不正経理など自治体の財政上の違法を是正するうえで大きな役割を果たしてきた。最近五年間でも原告勝訴や和解などの比率は住民訴訟全体の10 %を上回り、一部で言われるような乱訴とは程遠い。

 ところが、現在国会で継続審議中の地方自治法改正案では、住民訴訟にあたっては、個人としての首長等ではなく機関としての首長等を被告としなければならなくなる。首長等の応訴の負担を軽減することで、業務を遂行する際、過度に慎重になり事なかれ主義に陥るのを避ける目的があるという。

 また、被告が敗訴しても、損害賠償させるためには、代表監査委員が個人としての首長等を相手に新たに提訴しなければならない。自治体に損害を与えた民間業者を被告として訴えることも禁じられる。

 改正法案は分権を損なうものであり、慎重な検討が必要だ。

 第一に、住民訴訟は首長等が住民全体に損失を与えた事実に基づいており、原告の住民は、自治体の利益を代弁する代理人としての立場に立つ。その意昧で、本来被害者同士である住民と自治体の関係をあえて敵対関係の構図に置き換えるのは、奇妙である。被害者である自治体も、訴えられれば、理由のいかんを問わず自己を正当化するのは公的機関の宿命でもある。

 住民訴訟と類似する私企業の株主代表訴訟で、加害者(取締役等)の負担軽減を目的に、被害者同士(会杜と株主)を争わせるのが適切だ、などという議論は聞いたこともない。

 住民・株主から業務を任された首長・取締役の責任は、組織ではなく、個人としてのものである。しかも、自治体の場合、首長等の報酬は、住民から強制徴収した税金で賄われる。民間役員よりも首長等の責任が軽いという理屈はない。

 第二に、改正案では、首長等は、弁護士費用をはじめ訴訟に関する金銭・労力的な負担を、すべて自治体、すなわち住民に負わせて最高裁まで争うことができるようになる。これでは、加害者が被害者の負担で我が身を守ることになる。一方、原告の住民は手弁当のため、両者はおよそ対等性を欠く。

 第三に、勝訴した場合、首長等の弁護士費用は個人負担とならないよう現行法でも措置されている。自らに恥じるところのない首長等が恐れることは何もない。本人死亡の場合、遺族が困っているなど特異な事例を、法改正の理由に挙げる向きもあるが、それなら賠償責任保険や賠償限度額の導入などを講じればいい。

 第四に、住民の貴重な財産を回復する機会や権利を、実質的に制限する機能をもつ。

 改正によって利益を受けるのは、無尽蔵の訴訟資源を私益のために投入できる、違法支出に覚えのある首長等である。

 労働組合員も条文上被告になりうるためか、一部組合が改正に賛成しているが、訴訟の被告は通常、最高幹部であって、組合員にかかわるのは犯罪に近い不祥事だけだ。当局と本来対峙する組合がこれを支持するのは矛盾であろう。

 首長等は、現在でも政策判断の是非で責任を間われることはない。過大な負担が間題だというなら、住民訴訟の対象に政策判断が含まれないことを確認する規定を置くのが筋である。

 国会は、法治国家の最高機関としての見識に照らし、まずは改正案を再検証して、良識にかなう措置をとるべきである。


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