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毎日新聞 2001年10月22日(月)朝刊 発言席

「住民訴訟」が骨抜きになる

玉井克哉
東京大学教授

 開会中の臨時国会には「改革」を名乗りつつ、実際には世の中の流れに逆行する法案が提出されている。住民訴訟制度をほとんど骨抜きにする、地方自治改正法改正案がそれである。

 一見したところでは、その法案はさほど危険とは映らない。従来、知事や市町村長などが個人として被告になっていたのを改め、常に自治体そのものを被告にする、というのがその骨子である。公式には、変わるのは被告だけで、非違行為のあった首長などが住民訴訟によって責任を間われる仕粗みには変わりがない、と説明されている。

 果たしてそうか。結果が何も変わらないのなら、法改正そのものが必要ないことになる。実際には、この改正が目指すのは、住民から直接首長などが訴えらわるのを避け、自治体が被告になることで、訴訟から個人を隔離しよう、ということである。

 その立法理由は、個人として訴えられる現行制度のままでは、政策判断に過度に慎重になり、「事なかれ主義」に傾斜するからだ、とされている。

 たしかに、政策判断の当・不当をめぐって個人が訴えられ、損害賠償の義務まで課せられるのでは、思い切った政策判断はできまい。ダムの建設中止や博覧会の中止を知事が決断するとき、自治体が受けた「損害」を訴訟の場で追及されるのを懸念せねばならないとすれば、決断が鈍るのも当然だろう。

 だが、50年以上に及ぶ制度の運用において、単なる政策判断の不当を問われて個人が賠償請求を命ぜられたケースは、一つもない。個人が責任を負わされたのは、公金を使い込んだとか倒産が確実視される企業になぜか巨額の公金を貸し付けたとか、およそいかなる団体でも個人の責任が問われるようなケースばかりである。現行の制度で政策判断が鈍るような不都合は生じないのであり、だからこそ現に無駄な公共事業の中止が決断されているのである。

 それでも、訴訟に被告として引きずり出されること自体が迷惑だと考える人はいるだろう。現行制度では個人として訴えられた首長などを、自治体が補助することはできない。だが、現状でも、不当な訴訟に対して勝訴した場合には、通常、それによって生じた費用が自治体から支弁されているのである。やましい覚えのない首長等にとっては、被告となる迷惑というのは、せいぜい弁護士を依頼し、その費用を勝訴判決が出るまで立て替えるというだけのことである。その程度のことであれば、何も法律を改正せずども、知事会・市長会等の相互扶助で解決のつくことであろう。

 他方、改正案が通ったらどうなるか。これまで、税金の使い込みなどを市民が追求するとき、最後の砦は住民訴訟だった。だが、そこで勝訴しても損害賠償を得るのは自治体なので、住民側には何の利益もない。

 「手弁当」を覚悟して知事や市町村長といった名士を相手にするのはもともと不利だった。それでも数々の不正が暴かれたのは、まったくのボランティア活動によるものである。

 ところが、それが、自治体そのものを相手にする仕組みに変るのである。今後は、自治体は税金を使って腕利きの弁護士を雇い、職員を公的に使うことができるようになる。敗訴すれば必ず最高裁まで争うだろう。もともと有利な方にそんなハンディがつけられては、住民側が勝訴する見込みはまずなくなるだろう。

 公職にある者の非違をただす仕組みは、団体にとって神経のようなものである。絶ってしまえば痛みはなくなるが、誰も気づかぬまま疾患と腐敗が進行する。今国会での廃案を望みたい。


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